2012年02月17日
下諏訪,残雪の鎌倉街道ロマンの道

●残雪の諏訪秋宮
前記事からの続きです。
去る1月22日,午前から昼過ぎにかけて春宮あたりを散策した後,秋宮に参りました。
この下諏訪エリアには「鎌倉街道」と伝わる場所があり,該当の場所周辺には「鎌倉街道ロマンの道」なるものがあり,観光案内図にも紹介されています。なお,下諏訪の鎌倉街道は鎌倉から今の高崎市あたりを経て信濃へと通じた鎌倉街道上道からの延長上にあったもののようです。

●赤で示した径路が鎌倉街道ロマンの道(下諏訪観光案内地図より)
秋宮を起点に,境内脇を伝う上り坂の小路をたどります。集落を抜けると,段々畑状の広場。石仏と墓石が並んでいます。そして,「鎌倉みち一念坂」の道標があります。

●一念坂入口付近にて。上り坂からの眺望
一念坂入口の道標に従って上ると,舗装された道ともお別れ。民家の庭先をつたう小径はさらに細く曲がりくねり,段々畑の間へと進んでいきます。やがて,崖っぷちに沿う非常に狭い獣道のようになりました。これが一念坂なのですが,斜面を一念に駆け抜けるように登りきってしまえばいいのかもしれませんが,雪が残っているのでそうもいきません。
「もしや,“一念坂”ってこういう意味なのか?」
正しくはそうではないのですが(※),「ロマンの道」と銘打った案内板にダマされたと,やや後悔したときには既に遅し。雪深い小径を滑りそうになりながら降りるよりは上へ向かったほうが・・・
ここは慌てず,急いで,正確に
滑落しないよう片手を斜面に這わせながら,ひたすら一念に上った次第。

●幅50cm足らず,崖のほうへと微妙に傾斜した狭い上り坂。これを一気に駆け上がるのでしょうが,正直お勧めしません
進んでみれば,数十メートルでようやく,平坦な空間へと到着しました。
丘陵の頂付近は「桜ヶ城跡」。
中世の城跡です。そして,四方を御柱(おんばしら)で囲われた祠が居並ぶ高台からは,下諏訪のほぼ全景が見渡せます。

●諏訪湖と下社の森(手前)の下諏訪の街並。この眺望を目にすれば,雪道を登った甲斐があったというものです。
この地に,居城を構えていたのは下諏訪の豪族,金刺氏。古代の科野国造(しなののくにのみやつこ)の後裔であるともいわれる同氏族は,中世には武士団であったと同時に諏訪下社の大祝(おおほうり)を世襲していました。
鎌倉時代初期には,金刺盛澄が当主であり,この桜ヶ城に居留したといわれています。盛澄は,もともと源義仲に加担していたといわれ,それと対抗していた源頼朝とは必然的に敵対関係にあったようです。義仲の敗死後は連座して鎌倉方に処刑されてもおかしくない立場でしたが,梶原景時の口添えもあって,1187年に鎌倉の鶴岡八幡宮放生会に参加して流鏑馬を披露。その見事な腕前を認められて,盛澄は幕府の御家人となりました。以後,下諏訪の金刺氏は鎌倉幕府の動向にも深く関わり,ひいては信濃における北条得宗家の重要な協力者として歴史に名を残していきます。

●御柱に囲われた,児玉社・湯泉社・秋葉社・天白社
鎌倉街道ロマンの道,最高峰に佇むことしばし。


諏訪湖に沈みゆく夕日のパノラマを堪能し,時刻は16時をまわるころ,あたりが暗くならないうちに,下山します。
帰途は,一念坂とは反対方向へと続く,駒王坂を下ります。諏訪下社に残る言い伝えでは,駒王丸(幼少の源義仲)が,諏訪に亡命して大祝,金刺一族の庇護下にあったといいます。そのとき,駒王丸はこのあたりの山道を駆け回っていただろうという憶測から“駒王坂”と名づけられたとのこと。こちらの山道は,雪深いものの,一念坂に比べればずいぶんと道らしい道。今から思えば,往路と復路を逆にしなかったことは正解でした。
雪深さのため,山を這う下り道を歩き進めば,やがて来迎寺の裏手の墓地。山からの生還などと言っては大袈裟すぎる感がありますが,何せ初めてのロマンの雪道ハイキング。墓石の向こうに見える本堂の佇まいに,ホッと一息ついた次第です。

●来迎寺境内にて
鎌倉街道ロマンの道は,総行程1キロ強。しかし,山頂の城跡付近へと至るアップダウンの激しい山道なので,距離の割には大変歩き応えのあるハイキングコースです。残雪の足元よくない中,ゆっくり歩を進め,途中で立ち止まったりしながらだと,約2時間弱の行程でした。
日が完全に沈み,あたりが薄暗くなりつつある,来迎寺境内の泉からは,下諏訪の温泉が湧き出ています。雪の山道を進み,かじかんだ手を湯に浸して,しばし暖を得た次第。
雪の坂道は,ややハードでしたが,城跡が控える頂から,諏訪湖に沈む夕日と,雪化粧した街並の大パノラマを満喫した,鎌倉街道ロマンの道でした。
(完)
※金刺盛澄が度々この場所を訪れ座禅を組み精神統一をしていたという逸話(?)から,この道を一念坂と呼ぶのだそうです。
2012年02月12日
睦月の諏訪下社で,木遣り唄に出会う

●下諏訪の春宮にて,木遣り唄を奉納する地元の保存会(2012年1月22日)
やまの かみさま おねがいだ
去る1月下旬,正月気分も抜けたある休日,1年ぶりに下諏訪へ足を伸ばしました。甲信越で雪が降り積もった翌日は青空が広がっていましたが,下諏訪の街も神社も雪化粧でした。
特急あずさ号を降りたのが午前11時。上空からポタポタと,水滴が滴り落ちる街中を進んで,諏訪下社の春宮と秋宮へ参詣してまいりました。先週末に,春宮の筒粥神事も終わり,秋宮での新年祈請祭も済んだ下諏訪は観光客の往来などもあるものの,昨年の新年祈請祭を知る身にはいくぶん落ち着いた雰囲気でした。

●残雪の秋宮は厄除け祈願の最中
下諏訪駅により近い,秋宮。冬季期間中は下諏訪の神様が鎮座するお宮であると云われており,ここ数日は参拝者を対象に厄除け祈願が行われているため,人の往来もしばしばでしたが,ここから徒歩10分程度離れた春宮は人影もまばらで物静かでした。
そんな静寂を破った,否,静かな社叢にパッと華を咲かせたのが,冒頭写真にある,木遣り唄保存会の方々。
静かな境内にいると,赤い半被を羽織り,おんべを持った一行が春宮の鳥居を中へと進んでまいりました。一昨年行われた七年に一度の御柱祭の木遣りで活躍しましたが,本日は保存会の宣伝ビデオ作成のためのロケをするのだとのことでした。
颯爽とした,おんべ行列に,甲高く響き渡る木遣り唄。促されるまま,始終見物した次第。境内いっぱいにこだまする木遣り唄に誘われてか,人影まばらだった春宮の境内も気がつけば,地元の人や観光客がたくさん集まっていました。これは何の行事?と驚きながらも,舞殿の注連縄をバックに,おんべを掲げ木遣り唄を合唱する姿を,皆,しきりに写メールしたり,デジカメに収めたりしていました。
「珍しいね」,「伝統芸能を間近に見られてラッキー」,「こんな機会そうそうないよね」・・・
あちこちから漏れ聞こえてきたワード,いずれも同感。
下諏訪の神様が只今不在のお宮に,一足早く,春一番が吹き抜けたような小1時間の出来事でした。
思いがけない幸運に感謝しつつ春宮を後にしたのは既に13時をまわる時刻。秋宮付近で信州そばの昼食をとって,下諏訪の鎌倉街道へと向かいました。
(つづく)
2012年01月16日
粥占神事 2012
●諏訪下社(春宮)の筒粥神事 ~2011年1月撮影
去る1月14と15日,今年の作物の出来や世相を占う筒粥または粥占いの神事が,諏訪大社をはじめ各地で行われたようです。
昨年の今頃,こちらで諏訪大社の筒粥神事の様子と占い結果をレポートしましたが,今年も筒粥神事の結果が出たようです。
(諏訪大社筒粥結果2012)
「世の中,三分六厘」
ちなみに昨年は三分五厘なので,それよりは若干ましではあるけれど,残念ながら,まだまだ厳しい世相が続くという結果が出てしまっているようです。
その他,詳しくは下記の一覧表を見てください。

よく当たるといわれている諏訪大社の筒粥占いですが,昨年は三分五厘という厳しい結果がどうであったかは言わずもがな。だからこそ,今年の結果はかなり気になるところだったのですが,三分六厘という結果に昨年より悪くないという安堵と同時にまだまだ油断ならないな,とも思った次第です。
ところで,自分,今年の1月15日は諏訪大社ではなく,和歌山市は,紀伊一之宮「伊太祁曽神社」の粥占神事に参っていました。そちらは,各種作物(果物と野菜)の出来高占いのみで世相占いはなかったのですが,みかんをはじめ果物類を占う筒粥はおおむねぎっしりと詰まっていましたが,野菜類はものによってはバラツキがあったようで・・・
伊太祁曽神社の粥占神事の詳細などは,そのうち古代史ブログ「倭(ヤマト)しうるはし」のほうでレポートすると思います。
(お詫び)
昨年,諏訪大社の筒粥神事のレポートにおいて「十が満点だろうから,三分五厘は・・・」と書きましたが,正しくは満点は十ではなくて五なのだそうですね。申し訳ありませんでした。
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20:39
2011年12月05日
舞楽 in 大國魂神社千九百年奉祝祭

●大國魂神社千九百年奉祝祭の祭典行列 (2011年10月10日)
西暦2011年。かつての武蔵国府の地にして鎌倉街道上道の要衝である大國魂神社(府中市)が創建されて,ちょうど1900年になります。
去る10月8,9,10日の三連休,大國魂神社の鎮座1900年の奉祝祭が盛大に行われました。そして,祭典の後には,このとき限りの催事もいくつか行われました。そんな中から,今回,10月8日の宵に行われた,奉納舞楽の様子をご紹介いたします。
【千九百年奉祝祭,神前奉納雅楽・舞楽】
東京の小野雅楽会により,雅楽演奏と舞楽が大國魂の神前に奉納されました。竣工したばかりの随神門をバックに,古式ゆかしき調べと舞いが,中秋の夜に趣を添えて,陪観する大勢の人々を魅了しました。
(雅楽演奏)

〈承和楽〉

〈陪臚(ばいろ)①〉

〈陪臚②〉

〈酔胡楽(すいこらく)〉

管弦の音色が,古(いにしえ)を偲ぶかのように,夜の鎌倉街道に高らかに響きました。
優雅に身振りする「承和楽」に,勇壮な「陪臚」,そしてどことなく西域の香りがするコミカルな所作の「酔胡楽」など緩急のある選曲を堪能した約2時間の宴。
きっと最初で最後の貴重な2時間でもあったのでしょう。
(大國魂神社と鎌倉街道上道)
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07:00
│鎌倉街道上道(武蔵野~上つ毛野)
2011年12月02日
武蔵府中の熊野神社古墳まつり2011 (その2)

熊野神社境内と古墳に明かりが灯りました(2011年11月26日)
熊野神社古墳まつり,前回は昼間の目玉「古墳パレード」を紹介しましたが,今回は,まつり夜の様子をご紹介いたします。
2011年11月26日(土),日没と同時に境内の明かりが灯され,神社背後の古墳もライトアップされました。
そして,幻想的な雰囲気の中,雅楽の演奏が始まりました。


いささか冷え込む夜でしたが,振舞われたワイングラスを手に,ライトアップされた古墳を眺めとともに,聴く雅楽の音色は大変趣のあるものでした。
昨年,第1回熊野神社古墳まつりでは雨天のため,古墳での雅楽演奏は行われなかったため,この催しは今年が事実上の初回になるとのことです。

ライトアップされた上円下方墳(2011年11月26日)
日本最古にして最大の上円下方墳
良い夜でした。
熊野神社古墳についての解説はこちらをご覧ください。
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12:00
│鎌倉街道上道(武蔵野~上つ毛野)
2011年12月01日
武蔵府中の熊野神社古墳まつり2011 (その1)

●熊野神社古墳まつりの古墳パレード(2011年11月27日)
前回ご紹介した武蔵熊野神社古墳(府中市西府)において,去る11月26(土),27日(日)に「熊野神社古墳まつり」が開催されました。
昨年始まったばかり,今年で2回目という新しいイベントでは,この古墳が造られた当時をイメージした,「古墳パレード」が神社境内で行われました。
雅楽演奏を先頭に,律令時代の格好をしたスタッフが20人ばかり,神社参道から古墳までごくゆっくりと歩を進めてまいりました。

●古墳前までパレードした後,設けられた舞台上に整列(2011年11月27日)

●国司に扮した府中市長(?)が挨拶の辞を述べます(2011年11月27日)

●防人の面々(2011年11月27日)
この古墳まつりは昼間だけではなく,夜にも幻想的な催し物がありました。その2では,熊野神社古墳まつり1日目の目玉「雅楽のゆうべ」をご紹介します。
熊野神社古墳についての解説はこちらをご覧ください。
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22:06
│鎌倉街道上道(武蔵野~上つ毛野)
2011年11月29日
西府中,鎌倉街道沿いの古墳
●府中市唯一の上円下方墳,武蔵熊野神社古墳(2011年3月11日撮影)
府中市内を通る鎌倉街道(上道)沿いには,中世の史跡・遺構のみならず,古代の遺跡等もたくさん点在しています。
古墳もそういった古代遺産のひとつ。
今回は,西府エリアにある上円下方墳,武蔵熊野神社古墳を先ずご紹介します(訪れたのは今年の3月11日の朝のこと。その日の午後に発生した東日本大震災もあって,ずっと紹介しそびれていました)。
この古墳,上下の写真からわかるように,上が円墳で下が方墳になっており,あまたある古墳の中でも極めて珍しい形式のものです。
●街中の要塞のように迫力があります(2011年3月11日撮影)
「武蔵熊野神社古墳」という名前のとおり,神社の境内地に隣接しています。
従来,自然の丘であると認識されていたようで,江戸時代にはそれに寄り添う形で熊野神社が建設され,今に至るわけですが,数回にわたる発掘調査を経て2003年に古墳(三段築成の上円下方墳)であることが確定しました。
〈全国における古代の上円下方墳の確認事例〉
・石のカラト古墳(奈良・京都県境 長辺13.8m 高さ3m 8世紀初築造)
・清水柳北一号墳(静岡県沼津市 長辺12m 高さ3m 8世紀初築造)
・武蔵府中熊野神社古墳(東京都府中市 長辺32m 高さ4.8m 7世紀半ば築造)
・天文台構内古墳(東京都三鷹市 長辺28m 高さ2.2m 7世紀半ば築造)
・野地久保古墳(福島県白河市 長辺16m 高さ1.5m 700年前後築造)
武蔵府中熊野神社古墳の築造年代は7世紀半ば。従来,ヤマト王権を盟主とする部族連合だった倭国(日本)がようやく中央集権国家への胎動を始めた時期の古墳だということになります。墳墓の規模も,全国に5例現存する上円下方型の古墳のうちでは最大であり,旧武蔵国エリアにある古墳としてもトップクラスの大きさであることから,当時の武蔵において相当な要人の墓であろうと推定されているわけです。
●JR西府駅東側を南北に貫通する新鎌倉街道にて(2011年3月11日撮影)
神社背後の要塞のような存在感がある武蔵熊野神社古墳を後にして,次は,鎌倉街道を南下して,JR西府駅南口方面へと出ました。
【御嶽塚古墳】
●JR西府駅南口にある御嶽塚古墳。墳丘の石祠は江戸時代に作られた浅間信仰の祠(2011年3月11日撮影)
写真はJR西府駅南口のすぐそばにある御嶽塚古墳の墳丘から撮影したもの。府中市内には,5世紀~8世紀にかけての古墳が多数あり,その中でも古墳時代末期にあたる6世紀後半~7世紀にかけてのものが大半を占めます。
この御嶽塚古墳もまた6世紀末に築造されたと思われる円墳。埴輪や太刀,装飾具が出土したそうです。
府中市内の鎌倉街道沿いに,十数基あるという古墳めぐりなど,いかがでしょうか?

●府中市内の古墳分布図(府中市観光協会作成マップ)
つい11月最終土日に,今回紹介の武蔵熊野神社古墳で律令の頃をイメージした「古墳まつり」が行われました。
後日,こちらでその様子をご紹介できればと思います。
(今回の旅路と鎌倉街道上道の位置関係)

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06:00
│鎌倉街道上道(武蔵野~上つ毛野)
2011年09月11日
東京の鎌倉街道より,震災復興の願いを込めて

【鎌倉街道上道の要衝,府中の大國魂神社にて】
掛けまくも 畏き大倭(おほやまと)の
天津神・国津神の大前に 恐み恐みも白さく、

【大國魂神社にて】
去し三月十一日の 未刻に起きし 東北地方太平洋沖地震、
更には大津波の 災害を蒙りたるに、
数多(あまた)の都道県に 大なる損ひを齎したり、

【鎌倉街道中道の要衝,大宮八幡宮にて】
各々も市町村の有様は 家は壊れ海は荒れ 土は裂け山は崩れ、
許許多久の人々 瞬間に玉の緒を 絶たれる事と成りぬ、

【大宮八幡宮,本殿での朝拝】
又 神社神職等も 多数に災害を 被れる由知らせを 受けたるは、
実に畏き極み成り、

【大宮八幡宮と由来を同じくする,中野の鷺宮八幡神社にて】
故今し大前に 御食御酒種種の 味物を献奉り、
常に大神等の 高き尊き大神徳を 仰奉る、

【鎌倉街道中道,尾崎熊野神社にて】
倭(ヤマト)の国内 皆 大前に参集ひて 復興祈願祭を仕奉り、
乞ひ祈り奉る状を 平らけく安らけく 聞食し給ひて、

【阿佐ヶ谷神明宮にて】
日々起れる 余震津波を 鎮め給ひて、
一日も速けく 旧の状に 立帰らしめ給ひて、

【南阿佐ヶ谷の須賀神社にて】
我が倭(ヤマト)の国を 永久に守り恵み 幸へ給ひ、
災害に苦しむ諸人等の 身も心も平穏に 守り導き給へと、
恐み恐みも白す。
以上、震災復興祈願祭祝詞(神社本庁作成)

3月11日からちょうど半年を迎える節目となります。
去る2011年9月1日,東京都内の神社にて,東日本大震災復興祈願祭が一斉に行われました。
古都鎌倉から都内を貫通し,北へ,それぞれ信濃や奥州へと向かう鎌倉街道上道と中道に位置する各神社においても,震災復興祈願祭祝詞を基に祈願祭祀が執り行われました。
【上記の各神社と鎌倉街道中道(都内)】

橙色が鎌倉街道(鎌倉みち)の推定経路,及び経路上に位置する各神社
2011年08月08日
鎌倉街道中道,歩き旅 ~東京上北沢から西永福まで

●鎌倉街道中道推定図(黄線)と今回,歩いた範囲(赤の部分)及びその拡大図。拡大図中の☆1~6が今回,写真で紹介しているところ
(1;鎌倉街道入口, 2;下高井戸の庚申堂, 3;塚山公園, 4;塚山公園内の復元竪穴式住居(縄文遺跡), 5;吉守稲荷神社, 6;理性寺)
前回は大宮八幡宮(東京杉並区)が,武蔵における鎌倉街道中道の要衝であった話をしたと思います。
今回は,東京都内における鎌倉街道中道の推定経路を辿ってみました。7月中旬,大宮八幡宮に至る経路を下高井戸の鎌倉街道入口から,約3時間かけて歩きました。
途上の史跡や寺社(上の地図,☆印 1~6)を,写真とともに順にご紹介します。
【1. 鎌倉街道入口(下高井戸)】

京王線の上北沢駅を降りてすぐのところにある鎌倉街道入口。標識があるのでわかりやすいです。ここから鎌倉街道中道を北へと歩き進みます。
【2. 下高井戸の庚申堂】

鎌倉街道入口から歩くこと数分で,まず目に付くのがこの庚申堂。道の分かれ目に位置しています。このお堂には観音像もともに祀られていて,いずれも江戸時代に造られたものだそうです。お堂の説明板にはここが旧来からの鎌倉街道であると書かれています。
【3. 塚山公園(下高井戸)】
庚申堂からさらに北へ歩くとたどり着くのが,この公園。
【4. 塚山公園内の復元竪穴式住居】

写真は夕景の竪穴式住居。近隣の憩いの場になっているこの公園は実は縄文時代の遺跡。約5000年前の集落遺構が発見されたそうで,同寸大の竪穴式住居の復元模型があります。
【5. 吉守稲荷神社(杉並区浜田山)】
さらに北へと歩くと下高井戸から浜田山へと入ります。写真は浜田山の宅地にある小さい祠。吉守稲荷神社です。
【6. 理性寺(杉並区永福町)】
浜田山の住宅街を北東に歩き続けると,そのうち住宅の間から京王線の線路が見え隠れします。そして,至った西永福駅は大宮八幡宮の最寄り駅。写真はその駅北口すぐにある理性寺。江戸時代初期創建の日蓮宗の寺院です。たどり着いたときにはもう月が出ていました。
ここまで来れば,大宮八幡宮はもうすぐそばです。
2011年08月04日
大宮八幡宮と鎌倉街道

●東京のへそ,大宮八幡宮(東京都杉並区)
前回の記事から,ほぼ1ヶ月ぶりの更新になります。今回は,東京都内の鎌倉街道から大宮八幡宮(杉並区)について書きます。平安時代の七夕行事「乞巧奠(きっこうでん)」を再現しているとして,前回ご紹介した神社です。
ここ大宮八幡宮は,西暦1063年に源頼義公が石清水八幡宮より分霊を勧請して建立したのが始まりです。社伝によれば,源頼義公が安倍氏と戦うため奥州へ向かう途上,古来,聖域とされていたこの地で白雲が空にたなびくのを見て神威を感じ,奥州での戦勝帰還後にこの地に社殿を建てて八幡大神の分霊を祀ったのだといいます。
実は,これは創建年代も創健者も勧請元も,鎌倉の鶴岡八幡宮とまったく同じなのです。源氏の歴史,ないし八幡宮について詳しい方なら,すでにお気づきにかもしれませんが。
西永福の駅で下車し慌しい東京の下町を歩くこと約10分。和田堀公園の静寂な森林に囲まれた一角に大宮八幡宮の境内があります。
朱色の立派な鳥居と鬱蒼とした深緑の参道(約300メートル)を経て本殿へと至ります。

●雨上がりの大宮八幡宮の石畳参道
●大宮八幡宮境内の木漏れ日
●本殿前にて
●ここは祭事に先立って,祓いの儀式を行う沙庭
境内は鎌倉の鶴岡八幡宮ほどではないですがそこそこの規模で,本殿を中心に授与所や神楽殿など一通り充実しています。また,神主さんをはじめ,巫女さん,神職さんが常駐しています。

●前回も紹介した大宮八幡宮の乞巧奠にて。大神社に引けをとらず四季を通じて行事が多いのも大宮八幡宮の特徴
何度か参拝していますが,有名な観光スポットというわけでもないので,七夕とか桜祭りとか祭礼のときであっても参拝者がどっと押し寄せるといった感じではありませんので,ゆっくりとくつろぎながら祭事の雰囲気を味わえる神社です。

●鎌倉街道中道と交差するかつての参道。この向こうには大宮八幡宮の正面鳥居があります
鎌倉街道に位置すると先述しましたが,大宮八幡宮は,鎌倉から宇都宮を経て奥州へと至る「鎌倉街道中道」の途上にあたります。また,府中の大國魂神社(鎌倉街道上道の要衝)からも支道がここ大宮八幡宮あたりまで延びていたそうで,鎌倉街道の上道と中道を結んでいたようです。
それ故,11世紀には源頼義が,12世紀にはその子孫で鎌倉武家政権の祖,源頼朝が,それぞれ奥州親征の際に大宮八幡宮を経由して向かっています。

●鎌倉街道と大宮八幡宮。また,大宮八幡宮には鎌倉街道上道の要衝,大國魂神社から支道が伸びていました(赤枠の拡大図)
そして,大宮八幡宮周辺の「鎌倉街道中道」が南北に貫いていたと推定されるあたりには,今も寺社や遺跡が集積しており,源氏の奥州遠征ゆかりの伝説が残る場所も少なくありません。
【東京都内の鎌倉街道中道の風景】

●高円寺駅南口にある氷川神社。神社の創建は戦国時代ですが,奥州遠征へ向かう途上にこの地に源頼朝が立ち寄ったと伝えられています。

●東京中野区の新井薬師もまた鎌倉街道中道に位置しています。写真は毎年7月恒例の盆踊りの提灯飾り。
●塚山公園。縄文遺跡でもある下高井戸のこの公園のすぐそばを鎌倉街道中道が通ります
2011年07月01日
七夕の源流、乞巧奠(きっこうでん) ~武蔵大宮八幡宮より~

●現在よく見る七夕飾り
夏越の大祓が終わると,今度はすぐに七夕祭りの話題ですね。大祓が終わった神社では,色とりどりの七夕飾りが境内にお目見えしている頃合でしょう。
七夕祭りを行う神社の中から,今回,こちらの鎌倉街道ブログでご紹介するのは,大宮八幡宮(東京都杉並区)です。
かつて鎌倉から奥州へ通じていた街道(鎌倉街道中道)の途上に位置する,大宮八幡宮では,毎年,「乞巧奠(きっこうでん)」という古式の七夕祭儀が再現されており,他ではあまり見ることができない貴重なものなのです。
現在よく見られるような,笹竹に短冊をつるして願い事をする七夕祭りが出来上がったのは,江戸時代の後期からだといわれています。
星合伝説に基づく七夕行事自体は,わが国では奈良時代前後には行われていたことが確認されていますが,江戸時代より前の七夕祭りは現在見られるようなものとはだいぶ異なった感じのものでした。

●大宮八幡宮の清涼殿内に再現された乞巧奠(きっこうでん)は七夕の源流
織女の 五百機立てて 織る布の 秋さり衣 誰れか取り見む (読み人知らず)
これは万葉集の一首で,七夕を謡ったもの。他にも織女(おりひめ)と彦星の逢瀬をうたったものなど,万葉集には七夕の歌がなんと130首以上もあるそうです。この歌には「秋」という言葉が入っていますが,旧暦だった当時は七夕といえば秋の風物だったのです。また,聖武天皇が七夕の日に詩歌を廷臣たちに作らせたという記録もあり(続日本紀),少なくとも奈良時代には,織女(織姫)や彦星(牽牛)が登場する七夕行事があったということになります。
否,もっと厳密に言えば,織女と牽牛が天の河を越えて逢うという話は古代中国で成立した『星合伝説』とよばれるもの。そして,七夕の原型になった乞巧奠は,実は『星合伝説』とは別物として南北朝時代の中国で行われていたもの。この二つが7世紀に中国の唐王朝からわが国に相前後して伝えられ,奈良時代以降にお互い融合しました。さらに日本(倭)に古来からあった棚機津女(タナバタツメ)の神事とも結びついて,平安時代になると,織女と牽牛が前面に現れて「タナバタ」という名称で呼ばれる乞巧奠の宮廷行事が行われるようになったというわけです。これが,いわゆる日本独自の七夕行事の始まり。
平安時代,七夕の乞巧奠では,詩歌を供えるだけでなく,管弦や舞踊も行われました。それを「乞巧奠遊び」といいます。当時,どのような曲でどのような舞が行われたのか完全に再現するのは難しいのですが,大宮八幡宮では,当時の記録を参考にしつつ,現在神社で行われている神事や神楽などをミックスさせて,「乞巧奠遊び」を再現しています。当時のものと同じというわけにはいきませんが,おおむね似たような雰囲気のものだったのではないでしょうか。
以下に,昨年の写真とともに大宮八幡宮の「乞巧奠遊び」の式次第を見ていきましょう。


●乞巧奠を前にしての雅楽演奏(2010.7.11撮影)
大宮八幡宮の「乞巧奠遊び」は夕方17時から執り行われます。
まず,神職一同が乞巧奠を前に一拝。
それに続いて,管弦の演奏(右写真)。琴,琵琶,笙(しょう),篳篥(ひちりき)が互いにコラボレーションして古風な音曲を奏でます。古くは中国の前漢の時代に作られたという曲から,宇多王朝のころの宮廷音楽まで数曲。華麗さと厳粛さ,どちらもそろったような雰囲気。
そして,舞踊。平安朝のころは専門の女官が舞姫として舞ったのでしょうが,この日は大宮八幡宮の巫女による浦安の舞。鶴岡八幡宮の祈年・新嘗の祭事の時など,本殿で垣間見られるのと全く同じものですが,ここではすぐ目の前で優雅な神楽を陪観することができます。




●乞巧奠を前に,浦安の舞が奉納されます(2010.7.11撮影)
さて,大宮八幡宮において,今年もまもなく七夕の催しが行われます。七夕祭りを行う神社多しといえども,かつて宮中で行われた乞巧奠遊びをここまで再現・披露しているのは数少ないのではないでしょうか。
【大宮八幡宮,平安の七夕】
☆七夕飾りと乞巧奠:2011年7月1日〜15日
☆雅楽の夕べ(2回):2011年7月3日と10日の午後5時より
☆七夕祈願祭と乞巧くぐり:2011年7月7日午後6時より
※なお,記事で紹介した写真は「雅楽の夕べ」からです。
2週間に及ぶ,大宮八幡宮の七夕期間でのイチオシはやはり,期間中の日曜日に行われる「雅楽の夕べ」です。小1時間ほどの催し物ですが,平安の七夕祭に歴史を堪能してみてはいかがでしょうか。なお,「雅楽の夕べ」は屋内(清涼殿広間)での開催なので雨天の心配はありません。
※お詫び:七夕祈願祭と乞巧くぐりの開催日を誤って掲載していました。正しくは7月7日午後6時からの催行です。申し訳ございません。
2011年06月25日
鎌倉街道沿いでの夏越大祓情報
今年もまもなく6月30日。夏越の大祓の期日が近づいてまいりました。鎌倉街道沿いに多々ある神社においても、大祓が行われます。鎌倉街道上道の地図からそのうち、いくつかをピックアップしてみます。

(長野県)

●諏訪下社秋宮
・諏訪大社上社(諏訪市):6月30日(木) 15:00~ 夏越大祓
・諏訪大社下社(諏訪市):6月30日(木) 14:00~ 田植神事・浮島社例祭・夏越大祓
14:00~ 摂社美作田神社で田植神事
15:00~下社春宮脇の浮島神社にて,例祭
15:30ごろ 例祭終了後,大祓式および茅の輪くぐり。大祓の人形は式直前に配布
・生島足島神社(上田市):6月30日(木)18:00~ 夏越の祓(なごしのはらえ)・茅の輪くぐり
18:00~ 本殿内にて神職のみの神事
18:30~庭の結界にて,参列者と神職が「おおはらえことば」
その後,茅の輪くぐり。大祓の人形は当日配布

●武水別神社
・武水別神社(千曲市):6月30日(木)15:00~ 夏越の大祓
1.本殿で「おおはらえことば」奏上,参列者は本殿前で拝聴
2.大幣でお祓い
3.布を切り裂く儀式
大祓式終了後,参列者に小幣を配布
※約30分所要。茅の輪くぐりや人形はなし
武水別神社ブログ「夏越の大祓」2010/6/19
(群馬県)
・貫前神社(富岡市):六月三十日(木) 夏越の大祓
午後4時より斎行(受付 三時より)
大祓式のあと茅の輪くぐり。大祓の人形は当日配布
・倉賀野神社(高崎市):6月30日(木)18:00~ 夏越(なごし)大祓式
18:00~ 茅の輪くぐりのあと,本殿に昇殿して大祓式。大祓の人形は当日配布
(東京都)

●今般,新調された大國魂神社の随身門
・大國魂神社(府中市):6月30日(木)17:00~ 大祓式
1.大祓の人形は授与所にて配布。大祓式までに氏名など必要事項済ませて神社に渡す。
2.茅の輪くぐりは祭典の前後に各自で行う。
3.17:00~ 拝殿にて「おおはらえことば」と祭典(大祓式)
「大祓とか茅の輪くぐりってなに?」とか「大祓も茅の輪くぐりも経験したことがないけれど今年は参加してみようかな」といった方々のために、一般的な手順と作法をまとめました
↓
「夏越の大祓 ~一般的な手順と作法~」
(長野県)

●諏訪下社秋宮
・諏訪大社上社(諏訪市):6月30日(木) 15:00~ 夏越大祓
・諏訪大社下社(諏訪市):6月30日(木) 14:00~ 田植神事・浮島社例祭・夏越大祓
14:00~ 摂社美作田神社で田植神事
15:00~下社春宮脇の浮島神社にて,例祭
15:30ごろ 例祭終了後,大祓式および茅の輪くぐり。大祓の人形は式直前に配布
・生島足島神社(上田市):6月30日(木)18:00~ 夏越の祓(なごしのはらえ)・茅の輪くぐり
18:00~ 本殿内にて神職のみの神事
18:30~庭の結界にて,参列者と神職が「おおはらえことば」
その後,茅の輪くぐり。大祓の人形は当日配布

●武水別神社
・武水別神社(千曲市):6月30日(木)15:00~ 夏越の大祓
1.本殿で「おおはらえことば」奏上,参列者は本殿前で拝聴
2.大幣でお祓い
3.布を切り裂く儀式
大祓式終了後,参列者に小幣を配布
※約30分所要。茅の輪くぐりや人形はなし
武水別神社ブログ「夏越の大祓」2010/6/19
(群馬県)
・貫前神社(富岡市):六月三十日(木) 夏越の大祓
午後4時より斎行(受付 三時より)
大祓式のあと茅の輪くぐり。大祓の人形は当日配布
・倉賀野神社(高崎市):6月30日(木)18:00~ 夏越(なごし)大祓式
18:00~ 茅の輪くぐりのあと,本殿に昇殿して大祓式。大祓の人形は当日配布
(東京都)

●今般,新調された大國魂神社の随身門
・大國魂神社(府中市):6月30日(木)17:00~ 大祓式
1.大祓の人形は授与所にて配布。大祓式までに氏名など必要事項済ませて神社に渡す。
2.茅の輪くぐりは祭典の前後に各自で行う。
3.17:00~ 拝殿にて「おおはらえことば」と祭典(大祓式)
「大祓とか茅の輪くぐりってなに?」とか「大祓も茅の輪くぐりも経験したことがないけれど今年は参加してみようかな」といった方々のために、一般的な手順と作法をまとめました
↓
「夏越の大祓 ~一般的な手順と作法~」
Posted by まほろば旅日記編集部 at
06:00
2011年06月11日
~震災復興の祈り~
【諏訪大社の祈請祭。5月の月次祭において諏訪下社では復興祈願が行われました】
信濃一之宮の諏訪大社では 去る5月に
大震災からの復興を祈願して 祝詞が奏上されました
『掛けまくも 畏き諏訪明神の大前に 恐み恐みも白さく 去し三月十一日の未刻に起きし 東北地方太平洋沖地震更には 大津波の災害を蒙りたるに あまたの都道県に 大なる損ひを齎したり 各々も市町村の有様は 家は壊れ海は荒れ 土は裂け山は崩れ 許許多久の人々 瞬間に玉の緒を絶たれる事と成りぬ 又神社神職等も 多数に災害を被れる由 知らせを受けたるは 実に畏き極み成り 故今し大前に 御食御酒種種の味物を献奉り 常に大神等の 高き尊き大神徳を仰奉る 氏子崇敬者等大前に参集ひて 復興祈願祭を仕奉り 乞ひ祈奉る状を 平らけく安らけく 聞食し給ひて 日々起れる余震津波を 鎮め給ひて 一日も速けく 旧の状に立帰らしめ給ひて 我がヤマトの国を 永久に守り 恵み幸へ給ひ災害に苦しむ諸人等の 身も心も平穏に守り導き給へと 恐み恐みも白す』
以上、神社本庁作成の「平成二十三年東北地方太平洋沖地震復興祈願祭祝詞」より
Posted by まほろば旅日記編集部 at
14:46
2011年04月07日
震災からの復興を祈念して
東北地方太平洋沖地震で
犠牲になられた方々に
謹んで、弔意を表します。
未曾有の大震災は、確かに
甚大な被害を多方面にもたらし、
容易ならざる状況を招いています。それでも、被災地の傷が少しでも癒えること、復興への尽力が結実し、確かな前進へとつながってゆくことを、日本人のひとりとして祈念いたします。
今も避難生活を送られている方々にお見舞い申し上げます。
(御眞木 まほろば旅日記副編集長)
絵画「くれない染みて」の元になった写真はこちら 

【鎌倉震災復興祈願祭】
・日時、4月11日(月) 午後2時半から
・場所、鶴岡八幡宮舞殿
・当日は鶴岡八幡宮の神職さんのほか、鎌倉市内の仏寺やキリスト教会も参加する神道、仏教、キリスト教が宗教の枠を越えて、古都鎌倉から震災の復興を祈願します。
2011年03月28日
福島県郡山市長のメッセージ
藤堂です。
3月25日に、当まほろば旅日記宛に、福島県からこの長野県に退避されているという方からメールを受信しました。
福島郡山市長のメッセージを全国の人にさらに周知することに協力してほしいというものでした。
検討した結果、まほろば旅日記編集統括長として、この申し出を受けることにしました。
また、今回の災害に当たって、市長自らブログで情報発信されているのでこちらもご参照ください。
今回の災害にあたりましては、全国各地から温かいご支援をいただき、心から感謝と御礼を申し上げます。
郡山市民の避難状況につきましては、懸命な復旧活動の結果、当初の約1万人から約3千人に減少をしております。
しかし、原発の事故に伴い、県内各地からの本市への避難者数は、5,000人以上となっており、避難されてきた方々は、大変不便をしております。
特に、病気の方々に対しましても、本市の医療関係機関に懸命な対応をしていただいておりますが、医療品等に不足が生じつつある状況にあります。
大震災発生以来、私は、職員はじめ関係者の方々と市民の安全・安心の確保のため、全身全霊を持って対応してまいりました。
原発事故に関しましては、今日まで、国と東京電力の事故に対する対応のあり方について正確に情報を把握することができませんでしたが、本日の新聞報道を見て大変驚きました。
国と東京電力は、郡山市民、福島県民の命を第一とし、原発「廃炉」を前提に対応しているものと考えておりましたが、国・東京電力は、今後の産業・経済を優先し、「廃炉」を前提としたアメリカ合衆国からの支援を断ったことは言語道断であります。
私は、郡山市民を代表して、さらには、福島県民として、今回の原発事故には、「廃炉」を前提として対応することとし、スリーマイル島の原発事故を経験しているアメリカ合衆国からの支援を早急に受け入れ、一刻も早く原発事故の沈静化を図るよう国及び東京電力に対し、強く要望すると同時に、この件に関し、海江田経済産業大臣に直接電話で要請いたしました。
また、佐藤県知事、佐藤県議会議長及び渡辺いわき市長などと電話連絡をとり、市民あげて、さらには県民の方々と一緒に国と東京電力に強く訴えたいと思います。
お集まりの報道機関の皆さまにおかれましては、この趣旨をご理解いただき全国民の皆さまに、さらには、全世界の皆さまにこのメッセージを報道していただきますようよろしくお願いいたします。
質疑
Q 海江田経済産業大臣にはどういった内容を要請したのか。また、地震発生から一週間が過ぎたが、このタイミングに要請を決めたきっかけは?
<原市長> 県民の安全安心、そしてこれからの日本を考えた場合、原発事故を完全に封じ込めることが大事。現在、国、東京電力はいろいろな手立てをしているが、今現在の状況での手立てのため、今後万が一大きな余震が来た場合、これを継続できるか、という危険な状態にある。そのことを大臣に、政府の方針としてしっかり取り組んでいただきたいと訴えた。具体的には、福島第一原子力発電所の廃炉を前提とした対応、そして、アメリカ合衆国の支援の受入れ。我々はこれまでの原子力事故を経験してこなかった。そのため、スリーマイル島原子力発電所事故を経験し、ノウハウのあるアメリカの協力を得ながら対処すべきと考える。
きっかけは、今日の新聞を見て、国と東京電力の対応が正しくはないと思い、私なりの判断で行動をとった。
Q 海江田大臣に要請したのは今日(3月19日)のいつごろか?
<原市長> 11時ごろ。
Q 海江田大臣からの反応は?
<原市長> 要請があったことをしっかり受け止めて対処していきたいとのこと。
Q 県知事やいわき市長などにも話をしたということだが、他に賛同されている自治体は?
<原市長> 福島市長、田村市長、須賀川市にも電話をして、国に働きかけをしましょうと訴え、ぜひやりましょうと賛同いただいた。他の自治体は郡山市以上に不便をしている。郡山市は他の自治体と比べ順調に皆さんのご協力をいただいている。
Q いわき市長も、県知事も賛同されたのか?
<原市長> はい。いわき市長は物資が入ってこなくて大変だと言っている。いわきへの物資は郡山を中継しているが、運送サイドがいわき市までは運べないということなので、いわきの人が郡山まで取りに来ている状況。
Q 他に電話した方は?
<原市長>増子参議院議員、根本前衆議院議員、斎藤自民党県連幹事長、熊谷市議会議長を通じて県市議会議長会、郡山商工会議所に対して働きかけをするようお願いした。
3月25日に、当まほろば旅日記宛に、福島県からこの長野県に退避されているという方からメールを受信しました。
福島郡山市長のメッセージを全国の人にさらに周知することに協力してほしいというものでした。
検討した結果、まほろば旅日記編集統括長として、この申し出を受けることにしました。
また、今回の災害に当たって、市長自らブログで情報発信されているのでこちらもご参照ください。
郡山市長メッセージ・記者会見(2011年3月11日)
今回の災害にあたりましては、全国各地から温かいご支援をいただき、心から感謝と御礼を申し上げます。
郡山市民の避難状況につきましては、懸命な復旧活動の結果、当初の約1万人から約3千人に減少をしております。
しかし、原発の事故に伴い、県内各地からの本市への避難者数は、5,000人以上となっており、避難されてきた方々は、大変不便をしております。
特に、病気の方々に対しましても、本市の医療関係機関に懸命な対応をしていただいておりますが、医療品等に不足が生じつつある状況にあります。
大震災発生以来、私は、職員はじめ関係者の方々と市民の安全・安心の確保のため、全身全霊を持って対応してまいりました。
原発事故に関しましては、今日まで、国と東京電力の事故に対する対応のあり方について正確に情報を把握することができませんでしたが、本日の新聞報道を見て大変驚きました。
国と東京電力は、郡山市民、福島県民の命を第一とし、原発「廃炉」を前提に対応しているものと考えておりましたが、国・東京電力は、今後の産業・経済を優先し、「廃炉」を前提としたアメリカ合衆国からの支援を断ったことは言語道断であります。
私は、郡山市民を代表して、さらには、福島県民として、今回の原発事故には、「廃炉」を前提として対応することとし、スリーマイル島の原発事故を経験しているアメリカ合衆国からの支援を早急に受け入れ、一刻も早く原発事故の沈静化を図るよう国及び東京電力に対し、強く要望すると同時に、この件に関し、海江田経済産業大臣に直接電話で要請いたしました。
また、佐藤県知事、佐藤県議会議長及び渡辺いわき市長などと電話連絡をとり、市民あげて、さらには県民の方々と一緒に国と東京電力に強く訴えたいと思います。
お集まりの報道機関の皆さまにおかれましては、この趣旨をご理解いただき全国民の皆さまに、さらには、全世界の皆さまにこのメッセージを報道していただきますようよろしくお願いいたします。
質疑
Q 海江田経済産業大臣にはどういった内容を要請したのか。また、地震発生から一週間が過ぎたが、このタイミングに要請を決めたきっかけは?
<原市長> 県民の安全安心、そしてこれからの日本を考えた場合、原発事故を完全に封じ込めることが大事。現在、国、東京電力はいろいろな手立てをしているが、今現在の状況での手立てのため、今後万が一大きな余震が来た場合、これを継続できるか、という危険な状態にある。そのことを大臣に、政府の方針としてしっかり取り組んでいただきたいと訴えた。具体的には、福島第一原子力発電所の廃炉を前提とした対応、そして、アメリカ合衆国の支援の受入れ。我々はこれまでの原子力事故を経験してこなかった。そのため、スリーマイル島原子力発電所事故を経験し、ノウハウのあるアメリカの協力を得ながら対処すべきと考える。
きっかけは、今日の新聞を見て、国と東京電力の対応が正しくはないと思い、私なりの判断で行動をとった。
Q 海江田大臣に要請したのは今日(3月19日)のいつごろか?
<原市長> 11時ごろ。
Q 海江田大臣からの反応は?
<原市長> 要請があったことをしっかり受け止めて対処していきたいとのこと。
Q 県知事やいわき市長などにも話をしたということだが、他に賛同されている自治体は?
<原市長> 福島市長、田村市長、須賀川市にも電話をして、国に働きかけをしましょうと訴え、ぜひやりましょうと賛同いただいた。他の自治体は郡山市以上に不便をしている。郡山市は他の自治体と比べ順調に皆さんのご協力をいただいている。
Q いわき市長も、県知事も賛同されたのか?
<原市長> はい。いわき市長は物資が入ってこなくて大変だと言っている。いわきへの物資は郡山を中継しているが、運送サイドがいわき市までは運べないということなので、いわきの人が郡山まで取りに来ている状況。
Q 他に電話した方は?
<原市長>増子参議院議員、根本前衆議院議員、斎藤自民党県連幹事長、熊谷市議会議長を通じて県市議会議長会、郡山商工会議所に対して働きかけをするようお願いした。
以上、郡山市原市長の会見より
Posted by まほろば旅日記編集部 at
12:56
2011年03月20日
長野県でも被災者受け入れの動き
藤堂です。
東北で被災された方々の県外退避が活発化する中、わが長野県でも被災者受け入れに向けて動きが始まっています。
「長野県松本市は19日、被災者と、受け入れを志願する市民をつなぐ窓口を設けた。被災者と市民双方の希望や条件を記した台帳を作成し、一致すれば紹介することを検討。南木曽町や小布施町も個人宅などを募っている。」
中日新聞(2011年3月20日 02時42分)より
「県によると、18日午前時点で、県、市町村などの公営住宅の272室、県職員宿舎や少年自然の家など公的施設の392室を、いずれも主に無償で提供する見通し。ほかに、自主避難者らに料金を割り引く旅館、ホテルの部屋が1087室。透析患者は長野、松本市周辺の病院で入院50人、外来200人程度を受け入れる。」
信濃毎日新聞(3月19日)
《被災された方々への受入施設情報》
長野県内では現在、ただいま東北地方太平洋沖地震により被災された方々を受け入れる施設が用意されています。ただ、ホテル等の宿泊施設は有料でありペット不可の施設が多いのが事実です。
◎長野県での東北地方太平洋沖地震被災者受入施設情報

(藤堂判九郎)
Posted by まほろば旅日記編集部 at
18:12
2011年03月18日
大規模地震の被災者の方々を支援する長野県民共同宣言
各都道府県から、東北地方太平洋沖地震の被害にあわれた方々に次々とメッセージが発信されています。
本日、我が長野県も「大規模地震の被災者の方々を支援する県民共同宣言」を宣言しました。
全文を転載します。
東北地方太平洋沖地震でお亡くなりになられた大勢の方々のご冥福を衷心よりお祈り申し上げますとともに、長野県北部の地震・東北地方太平洋沖地震で被災をされた方々に心よりお見舞いを申し上げます。また、今なお余震が続く被災地において、生命を賭して、被災者の救出、災害の復旧のために、日夜懸命な活動をされている皆様のご尽力に対して、深甚なる敬意を表します。
長野県北部の地震で大きな被害を受けた長野県栄村では、今なお村の人口の約7割に相当する1,600人の村民の皆さんが雪が降る中、狭い避難所での不便な避難生活を強いられており、多くの県民の皆さんから温かい義援金や救援物資が寄せられています。県でも、食料等の支援、義援金の募集、保健師等の派遣、インフラの復旧や仮設住宅の建設等の支援を行ってきており、私達も、力を合わせて、被災者の皆さんの一刻も早い生活の再建に全力を挙げて支援を行っております。
今なお被害の全容が把握できない、我が国がかつて経験したことのない広範で、未曾有の被害をもたらした東北地方太平洋沖地震からの復興への道のりは、決して平坦なものではなく、遠く厳しいものが予想されます。しかし、被災者の皆さんは決して孤独ではなく、多くの同胞や世界中の人々が心より皆さんのことを想い、応援していることを忘れないでください。遠く離れていても、私達長野県民の心は、被災された皆さんとともにあります。私達は、皆さんとともに、総力を挙げてこの難局を乗越えていく決意です。
被災者を皆で支援し、復興を遂げることができるかどうかは、日本社会が変容し、人や地域の絆が失われる中で、私達日本人が守り伝えてきた『支え合いの文化』を再び取り戻し、新しい時代への扉を拓くことができるかの試金石になると考えます。
長野県は、長野オリンピック、長野パラリンピックを開催し、世界中からの人々をホスピタリテイあふれるおもてなしでお迎えした歴史があります。オリンピック、パラリンピックの開催を契機に、ボランテイア文化が根付き、阪神・淡路大震災、中越沖地震等でも多数の県民、企業、NPOがボランテイア活動を行いました。
これまで、私達は、被災地へ、救急、医療、警察等の専門スタッフを派遣するとともに、義援金や救援物資をお送りし、被災された皆さんを支援してきましたが、30万人を超える被災者が今なお苦しい避難生活を余儀なくされている状況に鑑み、行政、経済界、労働界等一体となって、被災地の皆さんを信州へ温かくお迎えし、公営住宅や民間宿泊施設等も活用しながら、一日も早い暮らしの再建を県民を挙げてお手伝いをしたいと考えております。
私達長野県民のこうした思いが被災地の皆さんに頑張る勇気を届け、日本社会全体にプラスのエネルギー循環をもたらすことで、明日への希望の灯をともし、国難ともいうべき大震災の危機を乗越えて、被災地が一日も早く復興されることを切に願います。
長野県ホームページより 続きを読む
本日、我が長野県も「大規模地震の被災者の方々を支援する県民共同宣言」を宣言しました。
全文を転載します。
大規模地震の被災者の方々を支援する県民共同宣言
東北地方太平洋沖地震でお亡くなりになられた大勢の方々のご冥福を衷心よりお祈り申し上げますとともに、長野県北部の地震・東北地方太平洋沖地震で被災をされた方々に心よりお見舞いを申し上げます。また、今なお余震が続く被災地において、生命を賭して、被災者の救出、災害の復旧のために、日夜懸命な活動をされている皆様のご尽力に対して、深甚なる敬意を表します。
長野県北部の地震で大きな被害を受けた長野県栄村では、今なお村の人口の約7割に相当する1,600人の村民の皆さんが雪が降る中、狭い避難所での不便な避難生活を強いられており、多くの県民の皆さんから温かい義援金や救援物資が寄せられています。県でも、食料等の支援、義援金の募集、保健師等の派遣、インフラの復旧や仮設住宅の建設等の支援を行ってきており、私達も、力を合わせて、被災者の皆さんの一刻も早い生活の再建に全力を挙げて支援を行っております。
今なお被害の全容が把握できない、我が国がかつて経験したことのない広範で、未曾有の被害をもたらした東北地方太平洋沖地震からの復興への道のりは、決して平坦なものではなく、遠く厳しいものが予想されます。しかし、被災者の皆さんは決して孤独ではなく、多くの同胞や世界中の人々が心より皆さんのことを想い、応援していることを忘れないでください。遠く離れていても、私達長野県民の心は、被災された皆さんとともにあります。私達は、皆さんとともに、総力を挙げてこの難局を乗越えていく決意です。
被災者を皆で支援し、復興を遂げることができるかどうかは、日本社会が変容し、人や地域の絆が失われる中で、私達日本人が守り伝えてきた『支え合いの文化』を再び取り戻し、新しい時代への扉を拓くことができるかの試金石になると考えます。
長野県は、長野オリンピック、長野パラリンピックを開催し、世界中からの人々をホスピタリテイあふれるおもてなしでお迎えした歴史があります。オリンピック、パラリンピックの開催を契機に、ボランテイア文化が根付き、阪神・淡路大震災、中越沖地震等でも多数の県民、企業、NPOがボランテイア活動を行いました。
これまで、私達は、被災地へ、救急、医療、警察等の専門スタッフを派遣するとともに、義援金や救援物資をお送りし、被災された皆さんを支援してきましたが、30万人を超える被災者が今なお苦しい避難生活を余儀なくされている状況に鑑み、行政、経済界、労働界等一体となって、被災地の皆さんを信州へ温かくお迎えし、公営住宅や民間宿泊施設等も活用しながら、一日も早い暮らしの再建を県民を挙げてお手伝いをしたいと考えております。
私達長野県民のこうした思いが被災地の皆さんに頑張る勇気を届け、日本社会全体にプラスのエネルギー循環をもたらすことで、明日への希望の灯をともし、国難ともいうべき大震災の危機を乗越えて、被災地が一日も早く復興されることを切に願います。
平成23年3月18日
長野県ホームページより 続きを読む
Posted by まほろば旅日記編集部 at
20:55
2011年03月18日
長野県等の列車運行状況【3月18日】 &節約のススメ
依然、飯山線と小海線に大幅な見合わせや運休が発生しています
・飯山線:戸狩野沢温泉~越後川口駅間の上下線で終日運転を見合わせます。長野~戸狩野沢温泉駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
・小海線:小淵沢~小海駅間の上下線で終日運転を見合わせます。小海~小諸駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
また、長野県隣接する関東地域では、中央本線や信越本線に依然影響が出ているようです。

「う~む、停電と上越の地震の影響で、上の4路線では大幅運休の状態が当面の間、続きそうじゃのう・・・」

「このあたり、電車やバスに移動手段を大きく頼っているお年寄りの方々が心配ですよね、佐渡先生。細かい運行状況は毎日変わるものだから、近隣の人たちには下のサイトで日々、チェックして出かけてほしいわ」
JR東日本管内の運転状況
Google鉄道遅延情報

「確かにな。じゃがのう、大きな被害を出した東北の人々は比べ物にならぬくらいの避難生活を強いられているのだ。ここいらの停電や物不足くらい、不便だとか言っておっては、多くの不安を抱えて避難生活なさっている人々に申し訳が立たぬというものじゃ。」
《今、震災被害のために出来る身近なこと》
・日ごろの節電;いつも以上にこまめな節電
・むやみに買いだめをしない;被災地へも物資が流れるように冷静になって必要分だけ確保する
・計画停電への協力;運休も暗い部屋もなんのその!
・戦時中ではないけれど、この状況下、ぜいたくは敵だ!! 浪費・ぜいたく・ムダ追放
・出来れば関東、東北への観光旅行等は控える;交通機関の運行状況が不安定なこの状況下、コスト節減(現地で生活する人や仕事の人が利用優先)だけでなく、自らの身を守るためにも
・義援金などの寄付;被災地への物資調達に寄与します
・ボランティアへの志願;ただ、これは一定以上のスキルが求められることが多い。特に被災地の状況が不安定であればあるほど。NPOや公募情報をチェック。
・飯山線:戸狩野沢温泉~越後川口駅間の上下線で終日運転を見合わせます。長野~戸狩野沢温泉駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
・小海線:小淵沢~小海駅間の上下線で終日運転を見合わせます。小海~小諸駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
また、長野県隣接する関東地域では、中央本線や信越本線に依然影響が出ているようです。

「う~む、停電と上越の地震の影響で、上の4路線では大幅運休の状態が当面の間、続きそうじゃのう・・・」

「このあたり、電車やバスに移動手段を大きく頼っているお年寄りの方々が心配ですよね、佐渡先生。細かい運行状況は毎日変わるものだから、近隣の人たちには下のサイトで日々、チェックして出かけてほしいわ」
JR東日本管内の運転状況
Google鉄道遅延情報

「確かにな。じゃがのう、大きな被害を出した東北の人々は比べ物にならぬくらいの避難生活を強いられているのだ。ここいらの停電や物不足くらい、不便だとか言っておっては、多くの不安を抱えて避難生活なさっている人々に申し訳が立たぬというものじゃ。」
《今、震災被害のために出来る身近なこと》
・日ごろの節電;いつも以上にこまめな節電

・むやみに買いだめをしない;被災地へも物資が流れるように冷静になって必要分だけ確保する
・計画停電への協力;運休も暗い部屋もなんのその!
・戦時中ではないけれど、この状況下、ぜいたくは敵だ!! 浪費・ぜいたく・ムダ追放
・出来れば関東、東北への観光旅行等は控える;交通機関の運行状況が不安定なこの状況下、コスト節減(現地で生活する人や仕事の人が利用優先)だけでなく、自らの身を守るためにも
・義援金などの寄付;被災地への物資調達に寄与します
・ボランティアへの志願;ただ、これは一定以上のスキルが求められることが多い。特に被災地の状況が不安定であればあるほど。NPOや公募情報をチェック。
2011年03月17日
長野県内の列車運行状況【3月17日】
依然、飯山線と小海線に大幅な見合わせや運休が発生しています
・飯山線:戸狩野沢温泉~越後川口駅間の上下線で終日運転を見合わせます。長野~戸狩野沢温泉駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
小海線:小淵沢~小海駅間の上下線で終日運転を見合わせます。小海~小諸駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
また、長野県隣接する関東地域では、中央本線や信越本線に影響が出ているようです。
中央本線:15:00頃から19:00頃まで、韮崎~小淵沢間で運転を見合わせます。
信越本線:高崎~安中間、30%程度運転 ※安中~横川間は終日運休
JR東日本管内の運転状況
Google鉄道遅延情報
・飯山線:戸狩野沢温泉~越後川口駅間の上下線で終日運転を見合わせます。長野~戸狩野沢温泉駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
小海線:小淵沢~小海駅間の上下線で終日運転を見合わせます。小海~小諸駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
また、長野県隣接する関東地域では、中央本線や信越本線に影響が出ているようです。
中央本線:15:00頃から19:00頃まで、韮崎~小淵沢間で運転を見合わせます。
信越本線:高崎~安中間、30%程度運転 ※安中~横川間は終日運休
JR東日本管内の運転状況
Google鉄道遅延情報
2011年03月16日
長野県内の列車運休情報【3月16日】
長野県内では、北部や山梨県や静岡県寄りの地域で、本日も運転見合せや運休が出ています。運休等の発生情報が出ている路線を載せます
・小海線:小淵沢~小海駅間の上下線で終日運転を見合わせます。小海~小諸駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
・飯山線:戸狩野沢温泉~越後川口駅間の上下線で終日運転を見合わせます。長野~戸狩野沢温泉駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
・中央本線:高尾~甲府間は通常の9割運行(正常に近い)。甲府~小淵沢間では通常の7割運行。特急あずさは全面運休。東京都内から長野県(諏訪、松本)への直通電車なし。
ここに情報を掲示するとき、口頭で伝えられる以外の情報を提供するときに参照しているのが次のホームページです。しばらくは、毎日チェックすることになりそうですな
JR東日本管内の運転状況
Google鉄道遅延情報
この2つをチェックしていれば大体把握できるのでは。
まだ、ご存じない方は、どうぞ
・小海線:小淵沢~小海駅間の上下線で終日運転を見合わせます。小海~小諸駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
・飯山線:戸狩野沢温泉~越後川口駅間の上下線で終日運転を見合わせます。長野~戸狩野沢温泉駅間は朝夕の一部列車のみ運転します。
・中央本線:高尾~甲府間は通常の9割運行(正常に近い)。甲府~小淵沢間では通常の7割運行。特急あずさは全面運休。東京都内から長野県(諏訪、松本)への直通電車なし。
ここに情報を掲示するとき、口頭で伝えられる以外の情報を提供するときに参照しているのが次のホームページです。しばらくは、毎日チェックすることになりそうですな
JR東日本管内の運転状況
Google鉄道遅延情報
この2つをチェックしていれば大体把握できるのでは。
まだ、ご存じない方は、どうぞ
(藤堂判九郎)

