2011年01月25日

諏訪春宮の筒粥神事(後編) ~粥占の結果は~

前編からの続きです。1月14日の夜から炊き始めていた筒粥は,明くる15日の午前5時に結果占いが行われました。

【2011年1月15日 筒粥のト占】

諏訪春宮の筒粥神事(後編) ~粥占の結果は~
●筒粥が供えられている拝幣殿前に整列する神職

午前5時に,下社春宮の境内に到着すると,地元の報道陣を中心に十数名程度がすでに待ち構えていました。極寒の中,境内の焚き火を囲んで,その時を待ちます。
 
昨夜の火入れ(炊き出し)の始まりと同様,太鼓を合図に神職中が拝幣殿へと歩を進めます。

出来上がった筒粥44本は既に拝殿前に供えられているようで,お祓いや斎主の祝詞の後,3名の神職(斎主を含む)が座上にあがり,筒粥の開鍵が始まりました(下写真)。

諏訪春宮の筒粥神事(後編) ~粥占の結果は~
●筒粥が供えられている拝幣殿前に整列する神職

44本の筒粥は,43種類の穀物と「世の中」を占うもの。奥中央の神職が筒粥を一本ずつ割り開いて,結果を口頭で伝えます。そして,左の神職がそれを書き記し,その様子を右の斎主が見守っています。

「里芋,上の上」

「なす,下の下」

・・・

筒粥が一本一本あばかれる度,結果が読み上げられます。一同,寒い中でも,それにじっと聞き入ります。

そして,最後に出ました。

「世の中,三分五厘」

以上,全ての筒粥の結果開鍵が終わりました。おそらく30分程度。

最後に,神職が見物者に結果を記した紙を示して,全ての結果を読み上げ(下写真),今年の筒粥神事も終了となりました。

諏訪春宮の筒粥神事(後編) ~粥占の結果は~
●占い結果を読み上げる神職

世の中は三分五厘。おそらく「十」が満点だろうから,いささか厳しい結果が出たといえるかも。確かに,大卒者の就職内定率が過去最低レベルだったり,数年来の景気の閉塞感,周辺諸国の日本に対する外圧,いろいろ出てくる新たな社会問題・・・
 なるほど,こういった問題はちょっとや,そっとじゃ改善しそうにないですしね。それに,ここ諏訪大社の筒粥神事は,聞くところではよく的中するので,七不思議のひとつに数えられているのだとか。昼間に再び春宮を訪れて,筒粥ト占の結果一覧をいただきましたが,ざっと眺めてみると43種類の穀物も全体的に上の部類が少なく,中や下がやや多めな感が。

温暖化が進めば,全体としての穀物の収穫量は減少に向かうともいいますし・・・

不景気な話はやめておきましょう。もっとも,自分は過去のト占結果を知らないわけですし,絶対値はともかく,運気が上向きか下向きかという相対的なファクターはそれらとの比較対照がないと何とも言いかねるところでしょうから。

諏訪春宮の筒粥神事(後編) ~粥占の結果は~
●開鍵が済んだ筒粥

ところで,この筒粥神事の由来なりについていくぶん調べてみました。
 ここ諏訪下社の筒粥神事はいつごろから行われているものなのか定かな情報は確認できませんでしたが,かつては諏訪上社でも行われていたそうです(現在はなくなっている)。また,諏訪大社に限らず,全国各地の神社で,小正月あたりに広く行われているようです。
 歴史が古い例を挙げれば,師岡熊野神社(横浜市)というところでは,西暦949年から行われているとされていますし,恩智神社(大阪八尾市)の粥占神事は千年以上前,また淡路島の伊弉諾神宮で行われる粥占祭というものは1200~1300年前に始まったとされていたりします。その他,数百年前に始まったという事例も結構あるようでした。
 諏訪のように筒に入る粥の状態で占うだとか,粥を放置してカビの生え具合で占う(北九州に多い)など,いくらか方法に差異があるものの,その年の穀物の出来高の吉凶を粥を用いて占うというのが基本とする「粥占(かゆうら)」という年占いです。その目的や手法などから,明らかに農耕が始まって以降のト占なのでしょうが,いつの時代から行われていたのかは定かではありません。大陸由来の行事という情報もあったりしますが,延喜式が成立した古代末期には,神事として諏訪大社で見たような手順がほぼ確立していたそうです。
 余談ですが,古代から行われていた筒粥神事(粥占)ですが,同じく古代からのト占である「太占(ふとまに)」とは,由来的には一線を画する存在だったようです。

さて,1月15日の早朝,筒粥神事が一部始終終わった頃には,空も明るみ始めていました。筒粥の歴史を調べたとて,諏訪の筒粥神事がなぜ正確なのかはわかるべくもありません。

ただ,わかるのは

大事なもの,必要なものだったから絶えることなくずっと続いてきたということ

午前6時半,春宮から来た道を再び戻って,宿泊先に戻り再び床に就いた自分でした。

(諏訪の筒粥神事 / おわり)


2012年の諏訪大社筒粥の占い結果はこちら


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Posted by まほろば旅日記編集部 at 20:55 │信州の鎌倉みち