●杉袖祭の祭礼行列(2013年7月13日朝)。広報の緑色の装束の神職が拝殿で神楽を舞いました。
7月13日,府中の大國魂神社にて,盛夏の訪れを感じさせる祭典が行われました。
杉袖祭
若杉の葉枝を手に,色合せの装束を羽織った神職が拝殿にて神楽を奉納する神事です。その前の日の青袖祭とともに鎌倉幕府創建の頃にまで遡る神事です。鎌倉を拠点に武家政権を樹立した源頼朝が,1186年に武蔵国じゅうの神主に,天下泰平の祈願をこぞって行うように命令じたのが,青袖・杉袖の両祭典のそもそもの起源。鎌倉殿の命令を受けた武蔵国じゅうの神主は,武蔵総社である大國魂神社に集結して,毎年7月12日の夜から13日の朝にかけて終夜舞楽を奏するようになったのだそうです。
しかしながら,現在は武蔵全体の神職が集うこともなければ,終夜,舞楽をすることもなくなり,大國魂神社の神職だけによって細々と,しかし粛々と当時の伝統を継承しています。それが連日で行われる二つの神楽祭。7月12日には摂社の宮乃咩神社の例祭として青袖祭として,午後に神楽を奉納し,翌日の朝9時から本拝殿にて緑の装束を羽織って神楽を奉納する杉袖祭を催行し,形を変えながらも鎌倉幕府創建以来の伝統を守っているという次第です。
この日は土曜日。ちょうど休日と重なり,首尾よく,シンプルながらも厳粛な祭典の様子を拝むことができました。
【タマムシのかくれんぼ】
●実は,私も杉袖祭を拝みに来たわけよ
夏の祭典を見終えた後,境内をぐるっと散策していると,出会ったのが緑鮮やかなタマムシ。杉袖の祭典が行われているときから,拝殿の欄干にじっと留まっていたのでしょう。「緑」を貴重とする祭典のときに,これまた緑色の夏の虫を拝むことになるとは,何だか,おみくじで大吉を引いたような気持ちですね。
●巫女さんに見つからないよう,欄干に身を潜めて!? そんなわけないか・・・。
境内を彩る,あけ色のコオニユリもまた夏の風物詩(大國魂神社にて)
早起きは三文の得
とはよく言ったものです。朝早くに府中に出かけ,頼朝公ゆかりの祭典を拝んだおまけに,タマムシにもまみえ・・・
両方ともそうそう見られる代物でもないわけで,この日はグリーンがラッキーカラーだったのかもしれないと,満足して,真夏の鎌倉街道上道を一路,南へと地元の鎌倉へと戻った次第でした。
【夕刻の鎌倉でも夏の使者】
●詣でたいきなり,賽銭箱にて遭遇しました
鎌倉に戻り,所用など済ませて一路,鶴岡八幡宮にまで詣でたところ,ここでもまた思いもかけず夏の使者がお出迎え。
ここ頼朝公のお膝元では,クワガタムシ。
かつての中世武士の甲冑の鍬形の名を冠する虫とは,「武家の古都」とはよく言ったものです。
水無月の大祓も終わり,七夕祭も終わったこの日の鶴岡八幡宮はどこか落ち着いた面持ち。特に祭典などの予定もなく,静かな夏の夕暮れを迎えようとしていましたが,そんな中,「幸灯式(さちあかりのしき)」とよばれる休日の夕限定の婚儀だけが幻想的に催されようとしていました。
●夜のとばりの中,雅楽を奏でる幸灯式
【鎌倉市民としての余多ばなし】
ところで,鎌倉が世界遺産に落選して久しいこのごろですが,このところ府中,大宮,熊谷あたりへ出張で出かけることが多いわが身,仕事明けなどどうしてもこれらの地域で歴史の風物など訪ね歩く機会も多くなるものなのです。
こと鎌倉街道の要衝だった府中,律令の国府も置かれ,鎌倉よりも歴史がずっと古い府中などを散策してみれば,とみに思うこと,それは
もし鎌倉市が世界遺産足りうるのであれば,府中市もまた十分に世界遺産足りうる
古代を通じて武蔵国府が置かれ古代東国の要衝として栄え,鎌倉幕府とそれ以降の武家政権の頃にも引き続き,鎌倉街道上道の要衝で武蔵の中心都市であり続けた府中。その歴史だけを見れば,鎌倉幕府のあったわずか百数十年だけ歴史の表舞台にあり,それ以外の時代には影を潜めていた鎌倉に比べると,首都になったことこそないものの律令草創のころから,それこそ江戸,現代までも1300年以上も要衝,大都市であり続けた府中市のほうがよほど隠れた歴史遺産がありそうな気がするのですが,いかがでしょうか。
あるいは,鎌倉市を世界遺産にするのではなく,武家政権時代のネットワーク,関東平野内外へと広がる「鎌倉街道」を世界遺産として出していれば登録の運びとなったかもしれなかったりして(笑)
ま,鎌倉市ふぜいでは世界遺産は土台無理だったわけですね。現鎌倉市長さんも世界遺産登録検討のために有識者・顧問をたくさん揃えていたはずなのに,そのくらい気付かなかったのしょうかね。
それとも,委員会顧問の中味は有識者には程遠い,
バカと浪費家の集まりと揶揄される鎌倉市観光協会みたいな,おべっか使いばかりだったとか(笑)