雪の鎌倉みち(3) ~別所温泉郷

まほろば旅日記編集部

2011年02月14日 05:00


●上田電鉄別所線,別所温泉駅にて

15時,別所温泉

下之郷あたりから鎌倉道(鎌倉街道上道)を,雪の中をほぼ3時間歩いてようやくまみえました。

〝ようこそ,別所温泉へ〝

案内の看板を上目に,駅から続くゆるい傾斜を上がって温泉郷へと向かいます。まもなく夕のころに差し掛かる時刻だったからか,それほど人の姿はありませんでした。

●積雪の将軍塚

傾斜の中ほど,将軍塚です。この塚は桜の季節,紅葉ともに意外と見どころですが,このたび雪景色もなかなかのものでした。これが平維茂の塚であるという話はここの以前の記事で紹介したとおりですが,8世紀ごろの円墳ではないかという説もあるそうです。
 将軍塚で道を右手に折れて,ずっと行き当たりまで向かいます。



●将軍塚から常楽寺へと向かう道路(参道)

ここ別所の温泉が古くから知られ,また信濃国府に近かったこともあって律令時代から大宮人の保養地(別所)として開発が進み,鎌倉時代には,塩田北条氏の手厚い庇護を受けて仏教文化が隆盛したことは,以前の記事でもお話ししたとおりです。
 以下に写真を紹介する常楽寺には,常楽寺宝物館という施設があり一般公開(有料)もされています。ここには,常楽寺に伝わる様々なものが展示保管されています。



●雪の常楽寺本堂

常楽寺は西暦825年,慈覚大師によって創建されたとされています。寺院の長い歴史を物語るかのように,先述の宝物館には,古くは奈良時代のものから鎌倉時代,そして近世近代のものまであらゆる時代の文物が陳列されています。


●雪帽子に雪マフラー(常楽寺境内にて)

中でも,鎌倉街道に関係が深いものは北条国時の木像。高さ20センチ前後くらいの小ぶりな木彫り物で,北条国時が鎌倉への出陣前に甲冑姿を自らの手で彫り刻んだものだと伝えられています。何かを覚悟し,悟りきったような表情に見えました。
 北条国時は,その名が示す通り,鎌倉幕府執権の北条氏の一族。極楽寺流北条氏の流れをくみ,塩田城に居を定めた父,北条義政の跡を継いで,1281年に塩田北条氏2代目の当主となります。以降50年余の長きにわたって信濃を居城としつつ幕府の要職を務め,また信濃守護としても「信州の学海」と呼ばれるまでに,この塩田に仏教文化の一大中心地を築き上げました。


●鎌倉時代のものとされる石塔群(常楽寺境内にて)

 その国時に転機が訪れたのが,1333年5月のこと。父の跡を継いだころには青年だった北条国時も既に老境に達していました。世情のせいか晩年になってから出陣することが多かった,北条国時ですが,「新田義貞,大軍で鎌倉街道を南下」の急報を受けて,子の北条俊時ら一族郎党とともに鎌倉街道(もちろん上道)を一路,鎌倉へと南下。二度と信濃へ戻ることはありませんでした。
 1333年5月22日。幕府軍の一翼としての奮戦もむなしく新田義貞率いる討幕軍に敗れ,北条国時・俊時の父子は鎌倉の東勝寺にて北条得宗家とともに自害しました。


本堂の裏手へと続く,常楽寺の境内を散策しました。一部,墓地になっていますが,多数の石塔が沿道に安置されています。すべてこの地から出土したものだそうで,鎌倉時代のものだといいます。


●安楽寺の八角塔

常楽寺を後にして,ややくだり気味な勾配の石畳を進むと,安楽寺に出ます。雪の中,まばらに人が訪れていました。
 ここ安楽寺は現在は曹洞宗ですが,もともとは臨済宗の寺院。鎌倉時代には,建長寺(鎌倉)と並ぶ禅寺として,信州学海の中心地として隆盛したそうです。
 そして,写真の八角塔(八角三重塔,最下層は初重裳階というもの)は中国の宋王朝時代の建築様式をした仏塔。言い伝えでは塩田北条氏の初代,北条義政による建立であるといわれていましたが,実際にはその子,北条国時によって建立されたものであるとのことです。
 かつて,別所温泉には,安楽寺・常楽寺・長楽寺の3寺院あり,「別所三楽寺」と呼ばれていたそうです。安楽寺と常楽寺は現存するわけですが,長楽寺は江戸時代の中頃に焼失して現存しません。ただ,現在の北向観音堂のすぐそばあたりが長楽寺の境内跡地であったとのこと。



●雪の北向観音堂

最後に辿り着いたのが,北向観音堂です。別所温泉に到着したときには止んでいた雪がまた降り始めてきました。時刻は既に16時をまわり日没の時間帯ですが,厚い積雪のためか,翳りはさほどではありませんでした。
 こちらも常楽寺と同様,825年に慈覚大師によって創建されたとされています。伝説によれば,この地に顕現した観音菩薩を慈覚大師が安置するためにお堂を建てたのが北向観音堂の始まりであり,同時に別院として建立されたのが先出の常楽寺の始まりだとのことです。
 突如,境内の愛染堂の鐘がひとりでに鳴り響きました。
ゴーン,   ゴーン,   ゴーン,   ゴーン,   ゴーーン・・・・

間をおいて5回鳴り響きます。17時ともなると,雪景色も次第に暗くなり境内のあかりも点灯してきました。洗面具を手に境内を横切っていく地元の人,遅く来た観光客の一行・・・
 シャッターが下りて暗くなった参道の土産屋通り。雪降る中,ちらほらと人が行き交う中,自分もまた今宵のお宿へと歩を進めました。


10キロくらい歩いたかな・・・さて,温泉風呂が待ってる,熱い夕食も待ってる・・・
そして明日は一気に大移動だ


なお,今回歩いた道のりを鎌倉街道上道の地図上に示すと以下のとおりです。


●拡大図中のピンク色の線が本レポートで,歩いた範囲。別所温泉駅を始点に反時計回りに温泉郷の古刹群をまわりました。


翌朝,雪積もる別所温泉から


もうひとつの信州の鎌倉街道の県境,


軽井沢へとひとっ飛び!!





次回は,善光寺方面への鎌倉街道についてご紹介します。

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