浅間から善光寺の雪景色
●鎌倉街道上道(善光寺街道)の地図
前回は塩田・別所温泉へと至る,信州の鎌倉街道をご紹介しましたが,今回は長野県内を通るもうひとつの鎌倉街道,すなわち群馬県側から碓氷峠を経て軽井沢から信濃善光寺へと向かう街道沿いの雪景色風景を何枚かご紹介します。
《1.浅間山》
これは中軽井沢からの浅間山。しなの鉄道の駅前は雪の季節にかかわらず浅間山がはっきりと大きく見えるスポットです。
そして,こちらは追分あたりからの浅間山。雪道と家とのコラボレーションが信濃らしい雰囲気でした。
雲間にしるき明方の浅間の煙にまがふは・・・
(宴曲抄より)
「宴曲抄」善光寺修行の部にもこのように記されている浅間とは,きっと山を最もはっきりとよく見渡せる場所なのでしょうか。だとすれば,やはり今の軽井沢の少し西寄り,信濃追分あたりなのかもしれないですね。
そして,しなの鉄道沿いにやや離れた場所へと遡上して,
「宴曲抄」では「坂木」と書かれた今の坂城町です。
《2.坂城神社》
しなの鉄道,坂城駅から参道が伸びている坂城神社の雪景色です。延喜式が編纂された10世紀前半には既にこの地にあった古い神社。「坂城」の地名は,古代の外的を防ぐ砦を意味する「柵城(さくき)」から来ているのだそうですね。
また,中世から近世にかけては,あの村上義清を輩出した信濃源氏「村上氏」の館がこの地にあったのだそうですね。
坂城駅からしなの鉄道で北上し,戸倉,千曲駅を経て屋代駅。
よも佐良科(さらしな)と見ゆるは・・・
と「宴曲抄」でも記された更科郡へと入ります。
姨捨山とは千曲川をはさんで反対側になりますが,上古,更科に君臨した王(きみ)が眠る「王家の谷」ならぬ峰です。
《3.森将軍塚古墳》
山頂に鎮座する全長100メートルに及ぶ前方後円墳は長野県では最大級のもの。4世紀末に築造されたと考えられることから4世紀中頃から後半にこの地を支配した王(きみ)の墳墓だとされていて,副葬品からはヤマト王権とかかわりの深い人物だったと考えられるとのこと。
四道将軍として北陸道から会津へと至った大彦命(オオヒコノミコト),科野(しなの)を言向けてから尾張へ向かったという倭建命(ヤマトタケルノミコト)
記紀にも出てくる,初期ヤマト王権のふたりの英雄の名が頭をよきるけれど,いずれも伝説色の強いものなので,何とも言えません。
ともあれ,山上の古墳も麓に復元された科野ムラも,晴れていれば更級の山々が見渡せる絶景のおススメスポットです。
ここまで来れば,善光寺のある長野市内まではあと一息。再びしなの鉄道屋代駅から長野行きに乗車して,20分ほどで篠ノ井も犀川の渡りも越えて終点の長野駅に到着して,“彼所に詣(まうで)”ることができますよ。
《4.信濃善光寺》
まさしく,早起きは三文の徳。
朝早くに善光寺にまで詣でてみれば,雪の中での御朝事にも巡り合うことができます。
それでも遅参でして,この日は山門の外側から大僧正様のお帰りを遠巻きに見送るのみでしたが,次来るときにはもっと早起きしてお数珠頂戴をきちんといただけたらと思います。
以上,浅間から善光寺の雪景色。
写真で紹介した1から4の場所を鎌倉街道上道の地図上に赤い印(■)で示すと以下のとおりです。
昨年までに撮り貯めていた写真,雪景色のカットは限りあるので,今回,大変に大雑把なレポートとなってしまいました。
(参考文献)
・「宴曲抄」善光寺修行 (鎌倉極楽寺の僧,明空 作)
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