2013年07月19日

鎌倉街道各地より,七夕の風景


●鶴岡八幡宮の七夕飾り(鎌倉市)

鎌倉から武蔵あたりまで,鎌倉街道周辺各地の神社でのの七夕の様子を集めてみました。各社ともいろいろと趣向を凝らしていました。

まずは鎌倉です。




●7月7日,鶴岡八幡宮。恒例の七夕まつり(鎌倉市)



そして,鎌倉から相模湾岸を西へ。
次は,同じ湘南エリアに鎮座する平塚八幡宮の七夕飾りです。




●平塚八幡宮。正面鳥居のカラフルな七夕飾り(平塚市)

実は,鎌倉の鶴岡八幡宮よりも古いといわれる平塚八幡宮。
というより,平安後期か末期に八幡神を祭り始まる前は,別の神を祭った神社だったというのが正確なところだそうです。




●平塚八幡宮の境内にも七夕飾り(平塚市)

鎌倉街道を一気に北へ,相模から武蔵へ。
鎌倉街道上道の要衝,大國魂神社より。
七夕ではなく茅の輪くぐりですが・・・



●武蔵府中は大國魂神社での夏越の茅の輪くぐり


6月30日,夏越の潔斎,茅の輪神事は,古来,七夕直前に行う禊(みそぎ)だったそうで,もともとは七夕とはセットでした。
夏越に身を清めてから,七夕の夜,地域の祖神や祖先霊をお迎えしたということです。



はい,次は人見街道(府中と杉並を東西に結ぶ鎌倉街道の支道)を東へと,遠い昔,古代海人族が水辺(善福寺川)の丘陵に営んだ聖地にルーツがあるとも,源頼義がここに八幡神を祭ったのが八幡宮としての創始であるともいわれる杉並和田の大宮八幡宮へ


●大宮八幡宮での乞巧奠神事(東京都杉並区)

見てのとおり,ここ大宮八幡宮での七夕まつりは他とはかなり趣が異なるもの。
乞巧奠(きっこうでん)といって,古式の七夕行事。
奈良~平安時代あたりの七夕を再現したもので,当時の七夕は写真のように,裁縫道具や楽器,神饌など様々なものを壇上に並べ飾って,雅楽や舞などを行い,技芸の上達などを祈願したとか。




●平安貴族の乞巧奠をほぼ忠実に再現しているとされる大宮八幡宮の七夕(東京都杉並区)

この王朝の七夕行事を今でも行っているのは,ここ大宮八幡宮と京都の冷泉家だけだとか。


以上,鎌倉街道より七夕まつり2013でした。


ちなみに鎌倉街道をさらに北へとさかのぼる上州や信濃では旧暦に則り,8月に,お盆の少し前に七夕を行う場所が多いのだそうで,今の時期は,デパートや商店街などのイベントを除いて,あまり本格的な七夕は見られないのだそうですね。






  

Posted by まほろば旅日記編集部 at 03:18鎌倉街道中道

2013年02月09日

雪すさぶ阿佐ヶ谷神明宮


●阿佐ヶ谷神明宮の神門


去る2013年2月6日,東京は朝から雪。

鎌倉街道中道に位置する,「東京阿佐ヶ谷のお伊勢さん」こと,阿佐ヶ谷神明宮の雪景色をご紹介いたします。






拝殿ごしに,天照大神の分霊が鎮座する本殿を拝みます。

鎌倉時代のはじめ,地元の豪族が伊勢の宮川(五十鈴川)の霊石を持ち帰って祭ったのが,ここ阿佐ヶ谷神明宮の直接の起源であるといいますね。

そして,今も本殿の内にその霊石は安置されているのだとか。





雪化粧した御垣内三殿。

三棟の神明造からなる本殿は,「御垣内三殿」とも称し,中央が天照大神,右に月読命,左に須佐之男命をお祀りしているのだとか。

去る9月の例大祭では,神官が庭上座礼して厳かに祭典を執り行った斎庭も真っ白です。

出勤前に立ち寄るのでしょうか,

こんな雪の朝でもビジネスカバンにスーツ姿の人影がちらほらと参拝に訪れる次第。





最近登場したという神明宮オリジナルの絵馬。

神楽鈴を持つ巫女のイラストの背景にも,しっかり神明造の屋根が描かれています。




さて,自分もそろそろ行かなければ。  

Posted by まほろば旅日記編集部 at 03:26鎌倉街道中道

2012年12月28日

大宮八幡宮のすす払い


●杉並大宮八幡宮のすす払い(2012年12月27日 午前9時過ぎ)

12月27日の朝,大宮八幡宮(東京都杉並区)で,年末のすす払いが行われました。
神社の境内は,年始のための仮設テントがいくつも立ち並び,いつもと違ってやや手狭な雰囲気でしたが,この日は丸1日をかけて正月を迎える準備(大掃除)が行われたようです。
 午前9時,拝殿での儀礼の後,社殿の清掃が始まり,装束姿の神職2名が拝殿や神門など主だった社殿を順次,長い笹竹で払っていきました。








ところで,12月半ばから今頃のかけて,各地の寺社では,このようなすす払い(すす払い神事)が行われていますが,この27日には,大宮八幡宮とは人見街道(鎌倉街道上道と中道を結ぶ支道)で結ばれている大国魂神社(府中市)でもすす払いが行われていたようです。
 また,ここから南へ50キロ,鎌倉街道の終点にあたる鶴岡八幡宮ではその2週間前にすす払いが行われました。

●鎌倉,鶴岡八幡宮のすす払い(12月13日) 


さて,話を杉並区の大宮八幡宮に戻します。

社務所の清掃,古い御札の回収,提灯の取り付け,そして,正月飾りの準備

笹竹によるすす払いとほぼ同時進行で,境内の内外いたるところで,作業が行われていました。こぢんまりと落ち着いた,いつもの雰囲気とはまた違った大宮八幡宮の境内でした。




●お正月の準備も始まっています(2012年12月27日)


●境内の冬桜

年末で,神社の人たちが慌しくする中,時折,訪れる参拝者。

年末年始には,すっかり装いを新たにした大宮八幡の境内はきっと参拝者でいっぱいになるのでしょう。





それでは,良いお年を

  

Posted by まほろば旅日記編集部 at 03:00鎌倉街道中道

2011年09月11日

東京の鎌倉街道より,震災復興の願いを込めて



【鎌倉街道上道の要衝,府中の大國魂神社にて】

掛けまくも 畏き大倭(おほやまと)の 

天津神・国津神の大前に 恐み恐みも白さく、




【大國魂神社にて】


去し三月十一日の 未刻に起きし 東北地方太平洋沖地震、

更には大津波の 災害を蒙りたるに、 

数多(あまた)の都道県に 大なる損ひを齎したり、




【鎌倉街道中道の要衝,大宮八幡宮にて】

各々も市町村の有様は 家は壊れ海は荒れ 土は裂け山は崩れ、 

許許多久の人々 瞬間に玉の緒を 絶たれる事と成りぬ、




【大宮八幡宮,本殿での朝拝】

又 神社神職等も 多数に災害を 被れる由知らせを 受けたるは、 

実に畏き極み成り、




【大宮八幡宮と由来を同じくする,中野の鷺宮八幡神社にて】

故今し大前に 御食御酒種種の 味物を献奉り、 

常に大神等の 高き尊き大神徳を 仰奉る、




【鎌倉街道中道,尾崎熊野神社にて】

倭(ヤマト)の国内 皆 大前に参集ひて 復興祈願祭を仕奉り、 

乞ひ祈り奉る状を 平らけく安らけく 聞食し給ひて、




【阿佐ヶ谷神明宮にて】

日々起れる 余震津波を 鎮め給ひて、

一日も速けく 旧の状に 立帰らしめ給ひて、




【南阿佐ヶ谷の須賀神社にて】

我が倭(ヤマト)の国を 永久に守り恵み 幸へ給ひ、 

災害に苦しむ諸人等の 身も心も平穏に 守り導き給へと、

恐み恐みも白す。


以上、震災復興祈願祭祝詞(神社本庁作成)





3月11日からちょうど半年を迎える節目となります。

去る2011年9月1日,東京都内の神社にて,東日本大震災復興祈願祭が一斉に行われました。

古都鎌倉から都内を貫通し,北へ,それぞれ信濃や奥州へと向かう鎌倉街道上道と中道に位置する各神社においても,震災復興祈願祭祝詞を基に祈願祭祀が執り行われました。



【上記の各神社と鎌倉街道中道(都内)】


橙色が鎌倉街道(鎌倉みち)の推定経路,及び経路上に位置する各神社  

Posted by まほろば旅日記編集部 at 14:46鎌倉街道中道

2011年08月08日

鎌倉街道中道,歩き旅 ~東京上北沢から西永福まで


●鎌倉街道中道推定図(黄線)と今回,歩いた範囲(赤の部分)及びその拡大図。拡大図中の☆1~6が今回,写真で紹介しているところ
(1;鎌倉街道入口, 2;下高井戸の庚申堂, 3;塚山公園, 4;塚山公園内の復元竪穴式住居(縄文遺跡), 5;吉守稲荷神社, 6;理性寺)


前回は大宮八幡宮(東京杉並区)が,武蔵における鎌倉街道中道の要衝であった話をしたと思います。

今回は,東京都内における鎌倉街道中道の推定経路を辿ってみました。7月中旬,大宮八幡宮に至る経路を下高井戸の鎌倉街道入口から,約3時間かけて歩きました。
 
途上の史跡や寺社(上の地図,☆印 1~6)を,写真とともに順にご紹介します。


【1. 鎌倉街道入口(下高井戸)】


京王線の上北沢駅を降りてすぐのところにある鎌倉街道入口。標識があるのでわかりやすいです。ここから鎌倉街道中道を北へと歩き進みます。

【2. 下高井戸の庚申堂】


鎌倉街道入口から歩くこと数分で,まず目に付くのがこの庚申堂。道の分かれ目に位置しています。このお堂には観音像もともに祀られていて,いずれも江戸時代に造られたものだそうです。お堂の説明板にはここが旧来からの鎌倉街道であると書かれています。

【3. 塚山公園(下高井戸)】


庚申堂からさらに北へ歩くとたどり着くのが,この公園。

【4. 塚山公園内の復元竪穴式住居】


写真は夕景の竪穴式住居。近隣の憩いの場になっているこの公園は実は縄文時代の遺跡。約5000年前の集落遺構が発見されたそうで,同寸大の竪穴式住居の復元模型があります。

【5. 吉守稲荷神社(杉並区浜田山)】


さらに北へと歩くと下高井戸から浜田山へと入ります。写真は浜田山の宅地にある小さい祠。吉守稲荷神社です。


【6. 理性寺(杉並区永福町)】


浜田山の住宅街を北東に歩き続けると,そのうち住宅の間から京王線の線路が見え隠れします。そして,至った西永福駅は大宮八幡宮の最寄り駅。写真はその駅北口すぐにある理性寺。江戸時代初期創建の日蓮宗の寺院です。たどり着いたときにはもう月が出ていました。

ここまで来れば,大宮八幡宮はもうすぐそばです。
  

Posted by まほろば旅日記編集部 at 02:00鎌倉街道中道

2011年08月04日

大宮八幡宮と鎌倉街道


●東京のへそ,大宮八幡宮(東京都杉並区)

前回の記事から,ほぼ1ヶ月ぶりの更新になります。今回は,東京都内の鎌倉街道から大宮八幡宮(杉並区)について書きます。平安時代の七夕行事「乞巧奠(きっこうでん)」を再現しているとして,前回ご紹介した神社です。
 ここ大宮八幡宮は,西暦1063年に源頼義公が石清水八幡宮より分霊を勧請して建立したのが始まりです。社伝によれば,源頼義公が安倍氏と戦うため奥州へ向かう途上,古来,聖域とされていたこの地で白雲が空にたなびくのを見て神威を感じ,奥州での戦勝帰還後にこの地に社殿を建てて八幡大神の分霊を祀ったのだといいます。
実は,これは創建年代も創健者も勧請元も,鎌倉の鶴岡八幡宮とまったく同じなのです。源氏の歴史,ないし八幡宮について詳しい方なら,すでにお気づきにかもしれませんが。

西永福の駅で下車し慌しい東京の下町を歩くこと約10分。和田堀公園の静寂な森林に囲まれた一角に大宮八幡宮の境内があります。

朱色の立派な鳥居と鬱蒼とした深緑の参道(約300メートル)を経て本殿へと至ります。



●雨上がりの大宮八幡宮の石畳参道


●大宮八幡宮境内の木漏れ日


●本殿前にて


●ここは祭事に先立って,祓いの儀式を行う沙庭


境内は鎌倉の鶴岡八幡宮ほどではないですがそこそこの規模で,本殿を中心に授与所や神楽殿など一通り充実しています。また,神主さんをはじめ,巫女さん,神職さんが常駐しています。


●前回も紹介した大宮八幡宮の乞巧奠にて。大神社に引けをとらず四季を通じて行事が多いのも大宮八幡宮の特徴


 何度か参拝していますが,有名な観光スポットというわけでもないので,七夕とか桜祭りとか祭礼のときであっても参拝者がどっと押し寄せるといった感じではありませんので,ゆっくりとくつろぎながら祭事の雰囲気を味わえる神社です。


●鎌倉街道中道と交差するかつての参道。この向こうには大宮八幡宮の正面鳥居があります


鎌倉街道に位置すると先述しましたが,大宮八幡宮は,鎌倉から宇都宮を経て奥州へと至る「鎌倉街道中道」の途上にあたります。また,府中の大國魂神社(鎌倉街道上道の要衝)からも支道がここ大宮八幡宮あたりまで延びていたそうで,鎌倉街道の上道と中道を結んでいたようです。

それ故,11世紀には源頼義が,12世紀にはその子孫で鎌倉武家政権の祖,源頼朝が,それぞれ奥州親征の際に大宮八幡宮を経由して向かっています。



●鎌倉街道と大宮八幡宮。また,大宮八幡宮には鎌倉街道上道の要衝,大國魂神社から支道が伸びていました(赤枠の拡大図)

そして,大宮八幡宮周辺の「鎌倉街道中道」が南北に貫いていたと推定されるあたりには,今も寺社や遺跡が集積しており,源氏の奥州遠征ゆかりの伝説が残る場所も少なくありません。

【東京都内の鎌倉街道中道の風景】


●高円寺駅南口にある氷川神社。神社の創建は戦国時代ですが,奥州遠征へ向かう途上にこの地に源頼朝が立ち寄ったと伝えられています。


●東京中野区の新井薬師もまた鎌倉街道中道に位置しています。写真は毎年7月恒例の盆踊りの提灯飾り。


●塚山公園。縄文遺跡でもある下高井戸のこの公園のすぐそばを鎌倉街道中道が通ります

  

Posted by まほろば旅日記編集部 at 21:07鎌倉街道中道

2011年07月01日

七夕の源流、乞巧奠(きっこうでん) ~武蔵大宮八幡宮より~


●現在よく見る七夕飾り


夏越の大祓が終わると,今度はすぐに七夕祭りの話題ですね。大祓が終わった神社では,色とりどりの七夕飾りが境内にお目見えしている頃合でしょう。
 七夕祭りを行う神社の中から,今回,こちらの鎌倉街道ブログでご紹介するのは,大宮八幡宮(東京都杉並区)です。
 かつて鎌倉から奥州へ通じていた街道(鎌倉街道中道)の途上に位置する,大宮八幡宮では,毎年,「乞巧奠(きっこうでん)」という古式の七夕祭儀が再現されており,他ではあまり見ることができない貴重なものなのです。

現在よく見られるような,笹竹に短冊をつるして願い事をする七夕祭りが出来上がったのは,江戸時代の後期からだといわれています。
 星合伝説に基づく七夕行事自体は,わが国では奈良時代前後には行われていたことが確認されていますが,江戸時代より前の七夕祭りは現在見られるようなものとはだいぶ異なった感じのものでした。


●大宮八幡宮の清涼殿内に再現された乞巧奠(きっこうでん)は七夕の源流 

織女の 五百機立てて 織る布の 秋さり衣 誰れか取り見む (読み人知らず)


これは万葉集の一首で,七夕を謡ったもの。他にも織女(おりひめ)と彦星の逢瀬をうたったものなど,万葉集には七夕の歌がなんと130首以上もあるそうです。この歌には「秋」という言葉が入っていますが,旧暦だった当時は七夕といえば秋の風物だったのです。また,聖武天皇が七夕の日に詩歌を廷臣たちに作らせたという記録もあり(続日本紀),少なくとも奈良時代には,織女(織姫)や彦星(牽牛)が登場する七夕行事があったということになります。
 否,もっと厳密に言えば,織女と牽牛が天の河を越えて逢うという話は古代中国で成立した『星合伝説』とよばれるもの。そして,七夕の原型になった乞巧奠は,実は『星合伝説』とは別物として南北朝時代の中国で行われていたもの。この二つが7世紀に中国の唐王朝からわが国に相前後して伝えられ,奈良時代以降にお互い融合しました。さらに日本(倭)に古来からあった棚機津女(タナバタツメ)の神事とも結びついて,平安時代になると,織女と牽牛が前面に現れて「タナバタ」という名称で呼ばれる乞巧奠の宮廷行事が行われるようになったというわけです。これが,いわゆる日本独自の七夕行事の始まり。
 平安時代,七夕の乞巧奠では,詩歌を供えるだけでなく,管弦や舞踊も行われました。それを「乞巧奠遊び」といいます。当時,どのような曲でどのような舞が行われたのか完全に再現するのは難しいのですが,大宮八幡宮では,当時の記録を参考にしつつ,現在神社で行われている神事や神楽などをミックスさせて,「乞巧奠遊び」を再現しています。当時のものと同じというわけにはいきませんが,おおむね似たような雰囲気のものだったのではないでしょうか。
 以下に,昨年の写真とともに大宮八幡宮の「乞巧奠遊び」の式次第を見ていきましょう。


●乞巧奠を前にしての雅楽演奏(2010.7.11撮影)


大宮八幡宮の「乞巧奠遊び」は夕方17時から執り行われます。

まず,神職一同が乞巧奠を前に一拝。

それに続いて,管弦の演奏(右写真)。琴,琵琶,笙(しょう),篳篥(ひちりき)が互いにコラボレーションして古風な音曲を奏でます。古くは中国の前漢の時代に作られたという曲から,宇多王朝のころの宮廷音楽まで数曲。華麗さと厳粛さ,どちらもそろったような雰囲気。
 そして,舞踊。平安朝のころは専門の女官が舞姫として舞ったのでしょうが,この日は大宮八幡宮の巫女による浦安の舞。鶴岡八幡宮の祈年・新嘗の祭事の時など,本殿で垣間見られるのと全く同じものですが,ここではすぐ目の前で優雅な神楽を陪観することができます。



●乞巧奠を前に,浦安の舞が奉納されます(2010.7.11撮影)

さて,大宮八幡宮において,今年もまもなく七夕の催しが行われます。七夕祭りを行う神社多しといえども,かつて宮中で行われた乞巧奠遊びをここまで再現・披露しているのは数少ないのではないでしょうか。

【大宮八幡宮,平安の七夕】
☆七夕飾りと乞巧奠:2011年7月1日〜15日
☆雅楽の夕べ(2回):2011年7月3日と10日の午後5時より
☆七夕祈願祭と乞巧くぐり:2011年7月7日午後6時より

※なお,記事で紹介した写真は「雅楽の夕べ」からです。

2週間に及ぶ,大宮八幡宮の七夕期間でのイチオシはやはり,期間中の日曜日に行われる「雅楽の夕べ」です。小1時間ほどの催し物ですが,平安の七夕祭に歴史を堪能してみてはいかがでしょうか。なお,「雅楽の夕べ」は屋内(清涼殿広間)での開催なので雨天の心配はありません。
 
※お詫び:七夕祈願祭と乞巧くぐりの開催日を誤って掲載していました。正しくは7月7日午後6時からの催行です。申し訳ございません。  

Posted by まほろば旅日記編集部 at 22:22鎌倉街道中道