2013年07月28日
いざ,鎌倉へ
●夏の夕焼け空,新田義貞公の騎馬像(分倍河原駅前広場)
いざ,鎌倉へ向け, 全軍,進撃せよ!
騎乗して,太刀を振り上げる新田義貞公の銅像。ここは新田義貞が率いる倒幕軍と鎌倉幕府軍の一大決戦が行われた古戦場,分倍河原の地。
旧暦1333年の5月16日,新田義貞はついに北条泰家の鎌倉幕府主力軍を撃ち下しました。駅前にある銅像は,分倍河原の戦いでの義貞公の勝利を顕表して建立されたもの。歴史の趨勢を決めた戦いの記念碑としてだけでなく,ここが鎌倉街道上であることを象徴するモニュメントとしての役割も担っていると言えます。
新田義貞は,鎌倉街道上道沿いに南下して,既に人心を失い,亡国の元凶と化していた鎌倉へと進撃しました。旧5月8日に上州にて挙兵し,3度の戦いを経て,形勢を決定付けた5月16日の分倍河原の戦いに勝利,さらにその6日後,ついに鎌倉幕府を滅ぼしました。
新田の挙兵から鎌倉攻略までの出来事は,新暦でいえば6月から7月。ちょうど,アジサイやノウゼンカズラが咲き誇る初夏から盛夏にあたる時節にあたります。
1333年,運命の夏。鎌倉街道上道を南へと突き進んでいたのは,新田義貞の一行だけではありませんでした。北条一族にして信州塩田(現,長野県上田市)の領主,北条国時とその手勢もまた新田軍の鎌倉侵攻の報に接し,幕府救援に向かうべく,信濃から峠越えに上州へ,鎌倉街道上道を,新田軍の後を追って駆け抜けていました。
●塩田北条氏の居城跡のアジサイ小路(塩田平)
次号以降,鎌倉攻防をめぐって兵どもが駆け抜けた鎌倉街道上道の夏を,その足跡とともに信州から鎌倉へと一気に辿ってみたいとおもいます。
更新遅滞に関するお詫び
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Posted by まほろば旅日記編集部 at 03:37
│鎌倉街道上道(武蔵野~上つ毛野)