2013年07月25日

大國魂神社の流鏑馬神事 ~鎌倉街道遺産~

大國魂神社の流鏑馬神事 ~鎌倉街道遺産~
●ケヤキ並木で,鎌倉の昔にちなんだ武者行列(2013年6月2日)

みちのくみちの方へ 左右に槻の古木あり 大なるはめぐり二丈あまり

此馬場むかし 義家朝臣奥州征伐のときに 開かれしよし


(『武蔵野地名考』より引用)



去る6月最初の日曜日,大國魂神社の参道で流鏑馬が催されました。

それに先だって,武者行列の練り歩き(冒頭写真)など,いくつかの催し物が祭りの日に華を添えました。

神社参道に続く,ケヤキ並木を進む,騎馬武者の行列。

11世紀後半,源氏興隆の祖,源頼義・義家の父子が前九年の役の際,戦勝御礼として千本のケヤキの苗木を寄進したのが,このケヤキ並木の由来であるという伝説は有名です。大國魂神社のケヤキが本当に頼義・義家父子が寄進したのかどうかはともかく,当時,六所宮と呼ばれていた,この武蔵の鎮守。平安京や東国で軍事貴族として名を馳せつつあった源氏と深い関わりがあっても不思議はないですね。
  いにしえの幹道,鎌倉街道がこのあたりを南北に通じていた大國魂神社から京王府中駅にいたるケヤキの道。6月2日の午前11時,天候にも恵まれ,多くの人が見守る中,中世さながらの武者行列がここを悠然と往来しました。

武者行列が終わって,午後1時。いよいよ参道での流鏑馬が始まりました。

【第2回,大國魂神社流鏑馬】
大國魂神社の流鏑馬神事 ~鎌倉街道遺産~
●大國魂神社に流鏑馬を奉納したのは戸山流

打ち込みました!




大國魂神社の流鏑馬神事 ~鎌倉街道遺産~
●的に矢がささっています

的中!!

騎射手が馬を馳せ駆けたことを知らせるアナウンス。

矢が的を貫通する度,的中を知らすアナウンスとともにどっとあがる歓声,どこの流鏑馬でも見られる光景でしょう。

2012年に半世紀以上ぶりに復活された流鏑馬。

中世,数百年にわたって鎌倉街道の要衝であり続けたこの地に相応しい行事だと思います。


大國魂神社の流鏑馬神事 ~鎌倉街道遺産~
●大國魂神社の境内で見つけた,中世の陶器片


古代の律令のころには,広大な武蔵國の国府が置かれ,中世,鎌倉に武家政権が成立した後も引き続き鎌倉街道上道の要衝として機能し続けた府中の地には,それこそ千数百年以上にわたるさまざまな歴史遺産が眠っています。
 よく注意してみてみれば,大國魂神社の周辺でも古代・中世の土器片などが散らばっていたりします。特に神社近辺で見つかりやすいのは,律令体制下,国府の政庁が今の境内あたりに置かれていたころの須恵器などの破片,武家時代の六所宮(今の大國魂神社)の屋根をふいていた瓦の破片や常滑焼などの陶器片。写真の破片は後者です。


古の営みを偲ぶ数々の遺物,武家時代の伝統を今に受け継ぐ流鏑馬

そして,何よりも

創建はおそらく上古の昔にまで遡り,武蔵國総社として国司の奉幣を受け,武家時代には鎌倉街道上道の要として悠久の時を刻み続けた大國魂神社

復活された流鏑馬のみならず,現存する神社の祭典には武家源氏ゆかりの起源を持つものが多々あります。府中市の鎌倉街道周辺に関していえば,質的には,武家の古都を謳っている鎌倉市に何ら引けを取らないでしょう。


大國魂神社の流鏑馬神事 ~鎌倉街道遺産~

もうひとつの中世武家の古都,ここにあり


大國魂神社と,今般復活した流鏑馬はその象徴なのかもしれません。


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Posted by まほろば旅日記編集部 at 03:28 │鎌倉街道上道(武蔵野~上つ毛野)