2012年10月04日
武蔵杉並の杜,秋の例大祭
●阿佐ヶ谷神明宮の例大祭の中核をなす宵宮祭。本殿前の斎庭で伊勢神宮や熱田神宮と同様の作法で祭儀が行われます(2012年9月15日)
去る,9月の3連休,阿佐ヶ谷神明宮と大宮八幡宮において例大祭が催行されました。
いずれの社も,鎌倉街道中道の途上に位置する武蔵杉並の鎮守です。
【阿佐ヶ谷神明宮の例大祭】
阿佐ヶ谷神明宮において,2日にわたる例大祭のうち,最も核心となる祭儀がこの9月15日の夕刻に催行された宵宮祭です。東京都神社庁から献幣使を迎えて,例大祭のはじまりを告げました。
●祭儀の前に拝殿前に設けられた祓所にて潔斎をする神社庁の献幣使と阿佐ヶ谷神明宮の神職(2012年9月15日)
ここ阿佐ヶ谷神明宮の宵宮祭の神事は「庭上座礼」という,古式の作法に則って行われます(冒頭写真を参照)。
●冒頭写真と同じ阿佐ヶ谷神明宮のもの(左)と熱田神宮の例大祭での庭上座礼(右)
庭上座礼の作法は,伊勢神宮や熱田神宮と同様のもの。現在,日本全国の神社でもこの作法で祭儀を行うところは2神宮を除いてはほとんど例がないのだそうです。
阿佐ヶ谷神明宮の例大祭において,庭上座礼の祭儀を行うようになったのは実は2年前からのことだそうです。それ以前の阿佐ヶ谷神明宮は拝殿と本殿が隣接したよくある社殿構造で,現在のように拝殿と本殿の間に御垣内の広庭はありませんでした。当然,諸々の祭儀も屋内(拝殿の中)で行われていたのです。
現在,阿佐ヶ谷神明宮は,全国的にも珍しい庭上座礼の古式に則って祭儀を行うことがある神社ということになります。
●庭上座礼の祭儀のあと,神楽「浦安の舞」が奉納されました
献幣使と阿佐ヶ谷神明宮の神職が広い斎庭に座しての神事,それに続いての巫女神楽,そして参列者による玉串と,小1時間ほどの古式ゆかしい宵宮祭でした。
そして,翌9月16日には,各種の催し物とともに各地区の氏子衆に担がれた神輿が境内になだれこむ神幸祭が行われたようです。
【大宮八幡宮の例大祭】
翌9月16日は,同じ杉並区にある大宮八幡宮,秋の大祭へと向かいました。こちらも東京都神社庁より献幣使をお迎えして,午前10時に「例祭・奉幣祭」が催行されました。
●大宮八幡宮,秋の大祭の中核をなす「例祭・奉幣祭」の一幕(2012年9月16日)
大宮八幡宮は,阿佐ヶ谷神明宮すぐそばのJR阿佐ヶ谷駅から,途切れ途切れに鎌倉街道中道であると伝わる箇所が点在する道をほぼ南の方向に3キロか4キロほどあるいたところ,電車の駅でいえば京王井の頭線の西永福駅の近く,ちょうど伝鎌倉街道中道と人見街道が交差するところにあります(下の地図参照)。
●鎌倉街道中道(オレンジ色の道)と阿佐ヶ谷神明&大宮八幡両宮(赤丸)の位置関係
9月16日,この日は朝から大宮八幡宮の秋の祭典でも中核となる祭儀や,神楽殿での舞楽の披露など,「古式」,「厳粛」を絵に描いたような日。9月15~17日の3日間にわたるまつり期間のうちでも最も歴史と古い伝統を感じさせる行事や催し物が拝観できました。
●境内の神楽殿では,舞楽が披露されました(2012年9月16日)
「現在でも,何となく安らぎを感じるとか,神聖な感じがするという場所があると思うんですよね。それは千年前あるいはそれ以前の古からずっとそうだった場所が,古社として今に残っていたりするんでしょうね」
大宮八幡宮で偶然,話しかけた方がたまたま秋の大祭期間だけ神職として奉仕しているという学芸関係の方でした。清和源氏に始まる大宮八幡宮の由来や神社成立以前の和田大宮のアマ族の聖地のことから始まって延々,清涼殿のロビーで話すこと数十分ほど。
昨今,はやりのパワースポットの定義としては最適だなと思えるようなフレーズになるほどと相槌を打った次第。
伊勢神宮然り,山辺の道然り,宇佐神宮,宗像大社然り,諏訪大社・・・
そんな遠方の事例を出さなくても,自分の地元界隈にもちゃんとあった,2箇所も。
●笹リンドウの白旗たなびく大宮八幡宮の社殿。清和源氏ゆかりの神社には大変似つかわしいです(2012年9月16日)
普段,とくに祭事などがないときにもちょくちょく訪れる大宮八幡宮。社殿を取り囲む和田大宮の社叢(杜)と脇を流れる善福寺川の雰囲気は確かにいつ訪れても,気分が落ち着きます。ビル群や宅地街がなかった古代や中世であれば,それがなおさらだったろうことは想像に難くありません。
今から949年前の西暦1063年に,源頼義が神威を感じたとか,白旗(源氏のシンボル)がたなびくような雲を和田大宮の上空に見たという伝承があるということは,源氏の軍が訪れた11世紀のころには既にこの地域が特別な場所として神聖視され続けていたことを物語っているのかもしれない。
●紙垂(しで)たなびく,阿佐ヶ谷神明宮の拝殿(2012年9月15日)
大宮八幡宮が鎮座する和田大宮に比べると,周辺の都市開発があまりに進み神明造りの社殿とわずかな社叢(杜)の阿佐ヶ谷神明宮もまた,鎌倉に武家政権が誕生して間もない12世紀末に地元の豪族が,伊勢神宮を勧請して創建した鎌倉街道沿いの古社。ここもまた神明宮創立以前には,東国遠征の途にあったヤマトタケルノミコトゆかりの聖地として崇められていたという伝承があります。
こちらも時折,足を運ぶのですが宅地とビルの街中なのに,気のせいか,何となく安らぎを感じるといえば,安らぎを感じる雰囲気があります。
阿佐ヶ谷神明宮と大宮八幡宮。
もしかすると,パワースポットとして紹介されているという先入見による自分の思い込みなのかもしれないけれど,それでも何となくそこに居たいような,足を運びたいような感じにいつも包まれる杉並の杜。
そんな鎌倉街道ゆかりの「聖地」で,年に一度の例大祭を立て続けに堪能できた,初秋の連休でした。
●大宮八幡宮の菊被綿(きくのきせわた)。例大祭の期間中,清涼殿ロビーで披露されました(2012年9月17日撮影)
【阿佐ヶ谷神明宮 歴史と由来】
日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称される現在の阿佐谷北5丁目一帯)に一社を設けたのが当宮の始まりといわれております。
建久年間(1190~1198年)には土豪横井兵部(一説には横川兵部)が伊勢神宮に参拝したおり、神の霊示を受け、宮川の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられ、この霊石は今も御神体として御本殿の奥深く鎮っております。
江戸時代から庶民の信仰が篤く、今に至るそうです。
【大宮八幡宮 歴史と由来】
70代・後冷泉天皇の天喜年中(1053〜57)に、奥州に乱が起き、この乱を鎮めよとの勅命をうけた鎮守府将軍・源頼義公の軍がこの大宮の地にさしかかると、大空には白雲が八条にたなびいて、あたかも源氏の白旗がひるがえるような光景となりました。源頼義公は、「これは八幡大神の御守護のしるしである」と喜ばれ、乱を鎮めた暁には必ずこの地に神社を構えることを誓って、武運を祈り出陣されました。そして奥州を平定して凱旋のおり、誓いの通り康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てました。これが当宮の創建の縁起であります。
また、その子八幡太郎義家公も後三年の役のあと、父にならい当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられています。
かつては武蔵国三大宮の一つ「多摩の大宮」あるいは「武蔵国八幡一之宮」と称され、昭和44年に境内の北端につづく旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡が発掘され、この地は太古からの聖域であったことが判明致しております。
更新遅滞に関するお詫び
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Posted by まほろば旅日記編集部 at 03:00
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