2011年02月07日

雪の鎌倉みち(2) ~下之郷から手塚・別所温泉駅まで

雪の鎌倉みち(2) ~下之郷から手塚・別所温泉駅まで

無限に広がる雪景色・・・       


そこには鎌倉へとつづく道が伸びていた


彼の地へ赴く者 この科(しな)の國に来たる者


いざ鎌倉と兵(つはもの)が駆け抜けた古の往還は


今も人々の往来が絶える事はない



雪の鎌倉みち(2) ~下之郷から手塚・別所温泉駅まで
●砂原の雪山を背景に生島足島神社の大鳥居

正午過ぎ,下之郷の生島足島神社をスタート地点に,かつての鎌倉街道上道(鎌倉みち)と推定される,長野県道82号別所丸子線(以後,県道82号線)を目指します。
 神社から,平井寺トンネル方面へ通じる県道65号線を徒歩で南進すること30分ほどで,県道82号線へと通じる交差点に至りました。富士山地区と古安曽地区の境あたりから,県道82号線に入って一転,西へ,古安曽地区へと歩を進めます。

雪の鎌倉みち(2) ~下之郷から手塚・別所温泉駅まで
●古安曽地区にて

次第に雪が激しく降る中を,道路沿いに歩いていくと,左手にこんもりとした森林が見えてきました。近づくと木造の鳥居も確認できます。

安曽神社です。


雪の鎌倉みち(2) ~下之郷から手塚・別所温泉駅まで
●雪降りしきる安曽神社の随神門から本殿を見渡します

無人ながらも,木造の立派な随神門と本殿までの長い参道の造形が優美な神社でした。安曽神社の創建年代は不明ですが,西暦860年に信濃国の権守が社殿を再建した(阿曽山舎社)と社伝の記録にあるそうなので,それ以前から祀られていたと考えられます。また,境内には「石上布留社」という境内社もあり,おそらくヤマトの石上神宮から勧請されたものだろうと説明板に書かれてありました。
 このあたりには古代のある時期に九州阿蘇地方の部族が入植したそうで,安曽(あそ)の名は阿蘇一族と何か関係あるのかもしれないという話もあります。
 さて,この神社は去る2010年の4月に,御柱祭が行われました。次第に強まる風雪の中,そのとき奉納された新しい3本の御柱が本殿脇に建っていました(下写真)。 
雪の鎌倉みち(2) ~下之郷から手塚・別所温泉駅まで

九州阿蘇との関連も示唆される古安曽地区の安曽神社ですが,祭神は信州の諏訪三神(健南方富命・大己貴命・八坂刀女命)。
 その後荒廃した安曽神社ですが,やがて鎌倉に幕府を開いた源頼朝が諸国の寺社を修築する命令を出し,安曽神社もその際に石上布留社の境内社として,再建されたそうです。もっとも,今では逆に石上布留社が安曽神社の境内社となってはいますが。

 
雪の鎌倉みち(2) ~下之郷から手塚・別所温泉駅まで
●道中,このような標識が(古安曽を過ぎたあたり)


鎌倉みちを西へとさらに歩を進めます。雪もさらに激しさを増してきます。南国育ちの自分には雪景色は大変うれしいのだけど,降雪はさすがに寒い。まだ風がないので傘をさすことが出来たことが救いでした。
 前途,真っ白な中をひたすらまっすぐ歩いていると,時々,車が行き交い,歩く人とも時折,すれ違います。こんな信州の山間でも雪の中でも,人の往来は絶えることはないのだな,と実感した次第です。


あたり一面真っ白だけど,自分は今,かつての鎌倉街道を歩いている。

時折,姿を見せる「鎌倉道(推定)」の標識がそのことを思い出させてくれます。

雪の鎌倉みち(2) ~下之郷から手塚・別所温泉駅まで

延々とまっすぐ続く雪道の左手に見慣れた標識。

“前山寺,左折2000メートル”

いわゆる塩田平「信州の鎌倉」スポットの前山寺をはじめ龍光院や中禅寺などは実は,鎌倉街道の推定ルートよりもやや山手に離れたエリアにあるわけですね。

「このあたり,左に歩いて寄り道すれば泥宮に行き着けるけど,行っとく?」

「いいや,泥宮は昨年,桜の季節に行ったので今回は鎌倉街道をまっすぐそちら別所温泉に向かいます」

ケータイごしの会話に出てきた「泥宮」。前回レポートで紹介した生島足島神社と同様,地面(土)自体を御神体とした祠だそうですね。


生島足島神社からもう5キロくらいは歩いたでしょうか。左手,遠巻きに神社に隣接した塚のようなものが見えてきました。

王子塚古墳かな?

携帯していた地図で確認すると,どうやらそうらしいです。そちらへと向かってみると,結構,大きな墳丘,そして墳丘に寄り添うように王子神社の社殿。境内にある説明板によると,5世紀築造と考えられるホタテ型古墳とのこと。後世に設置されたのだろう石の祠が墳丘のてっぺんに並んでいます。

雪の鎌倉みち(2) ~下之郷から手塚・別所温泉駅まで
●王子塚(ホタテ型古墳)の墳丘

鎌倉街道は中世半ばである,鎌倉時代初期に完備された道。なので,中世の産物ということになりますが,生島足島神社といい,安曽神社といい,そして王子塚。古代の史跡が意外と多いですね。このことは信州に限らず,東京,埼玉県や群馬県の鎌倉街道についてもある程度当てはまることです。
 中世以降の寺社だけではなく,古代の史跡も鎌倉街道周辺に多いことは,鎌倉幕府が整備した鎌倉街道とはいっても,従来の道を廃して全く新たな道を作ったわけではなく,前時代からある道を可能な限り再利用していることを表しているのかもしれませんね。


激しかった降雪も王子塚あたりでようやく一段落。さらに一本道を歩き,レトロな感じの塩田西小学校を右手に眺めつつ歩き,次第に山間部でカーブする道路をひたすら歩き続けること30分ほど。
 そして,最後の上り坂を歩いていくと見えてきました。


雪の鎌倉みち(2) ~下之郷から手塚・別所温泉駅まで


別所温泉駅にある旧丸窓列車

これを見るのは数年ぶりです。ただ,別のところへ移管することを検討しているのだそうですね。

15時,別所温泉到着。生島足島神社をスタートし,雪の中を歩いてほぼ3時間でした。次回は別所温泉エリアをレポートします(つづく)


なお,今回歩いた道のりを鎌倉街道上道の地図上に示すと以下のとおりです。

雪の鎌倉みち(2) ~下之郷から手塚・別所温泉駅まで
●拡大図中のピンク色の線が本レポートで,歩いた範囲。基本的に長野県道65号線と82号線(これが鎌倉街道と概ね重なる道路)に沿って別所まで歩きました。


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Posted by まほろば旅日記編集部 at 10:10│Comments(1)信州の鎌倉みち
この記事へのコメント
藤堂よりKIさんへ

最後の地図ですが、

拡大地図がボケている、方角が少しずれている、また、鎌倉街道の青線もわかりにくい

地図だけ作り直して差し替えてください。

しかるのちに本部ブログでリリース情報として流します。

                    (まほろば旅日記編集統括長 藤堂判九郎)
Posted by まほろば旅日記編集部まほろば旅日記編集部 at 2011年02月07日 12:03
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